はじめに
四天王寺で #推古天皇(#豊御食炊屋姫)の #太陽祭祀 のこん跡は見つかるのか。現在の中心伽藍に #アマテラス を祀る社があったのでは?と考え始めると寺域の西端に #石鳥居 がある意味が見えてきます
目次
本文
四天王寺は金堂の救世観音像(ぐぜかんのんぞう)がご本尊。
(撮影禁止なので代わりに手持ち資料から法隆寺夢殿の観音像)法隆寺夢殿の秘仏・救世観音像は生前の聖徳太子(厩戸皇子、上宮法王)に生き写しとされ、また百済で出世した日羅(にちら)は太子を『救世観音の生まれ変わり』と称えました。
四天王寺伽藍の核心としての転法輪石
今日はその話ではないのですが、四天王寺の 核心 は、金堂の前に埋め込まれた転法輪石(てんぽうりんせき)ではないかと考えています。
先日書いたように、四天王寺の中心伽藍は、この転法輪石と石鳥居を結ぶラインを基準に配置されていることから、そのように考えています。
転法輪石の下に埋まっているもの★★
自分で原本を確認しようとしたのですがどうにも閲覧できず、写真はイワクラ学会さんの資料よりお借りしました。
四天王寺「四石」の段階的成立(2009年7月6日WEB掲載)。たいへん詳しく論考された資料です。
磐座(イワクラ)を神が来たる依り代(よりしろ)と定義するのであれば、現在の転法輪石の地下に埋納されている写真の石はイワクラと考えてよいかと思います。
以下、古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
ただし三輪山や貴船など、全国の出雲的な信仰に見られるドスンとした大石ではなく、それよりも時代が下った、上面が平らな石・・・御饌石(御膳石、みけいし、ごぜんいし)ではないかと考えています。神様にお供えする食べ物・神饌を置く石のことです。
当ブログを始めてから、この御饌石タイプを三か所で確認しています
(沖島でお供してくれたニャンコ、元気にしてるだろうか。ここちゃんと見ていけよのポーズ。笑)
近くに水場、井戸がある(あったと考えられる)イワクラで、四天王寺の場合、転法輪石の至近距離、金堂西側に龍の井戸があります(上のグーグル地図に写り込んでいます。)
推古天皇・豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)の意味★★
転法輪石の下に埋まっているものが御饌石で、近くに龍の井戸があるところから、ここで古代の神事が行われていたとすると。
誰がどのような祭祀を斎行していたのかというと、推古天皇自身、つまり、豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)が日奉(ひまつり)の神事を行っていたのでしょうか。太陽が西の鳥居に落ちる春分・秋分の日に太陽神(アマテラス)に神饌をお供えしていたと推理できます。
『豊、トヨ』は伊勢神宮・外宮の豊受大神(トヨウケノオオカミ)と同じように、御神体に御食(みけ、うけ)を奉祀する姫巫女の神に付けられた名。
その姫巫女が炊屋(かしきや、神様のキッチン)で竈の火を焚き、神様の食事を用意して奉祀した。。。
本当に小さな点を結んだ線ではありますが、少しずつ繋がってゆきます。
ただこれだけではまだまだ細くて薄い。ここまでは以前から考えていたことでした。
しかし、アラハバキやサイノカミといった古神道を調べるようになって、視点が変わると面白いもので、今まで見えなかったことも見えてくるものです。
よく考えてみれば、神社の鳥居は神域(コチラ)と外(アチラ)を分ける 際(サイ) を示すもの。
子どもの頃からあまりに見慣れたその鳥居が、四天王寺という寺院にある意味。
いや 残された意味 といってよいかも知れません。ここには古代(四天王寺創建時あるいはそれ以前)から、御神域、つまり、太陽信仰の神社があったのではないかと考え始めてからです。
(続く)
アラハバキ解(連載中。~第29章)