はじめに
平安京七口の一つ荒神口の由来の寺院。私が知る限り #天台宗の荒神社 は初めて。御本尊は牛に乗る三面六臂の #清三宝大荒神。#京洛七福神巡り 頭長の #福禄寿 の御朱印寺。境内には光格天皇の胞衣塚。山門に #魔除けの桃
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本文
鴨川 荒神の飛び石
京都市下京区荒神町にあることから、鴨川に架かる荒神橋のそばの飛び石を『荒神の飛び石』といいます。
『日本最初清三宝大荒神』の看板の護浄院 常施無畏寺。一帯の地名は通称・清荒神さんに由来しています。
荒神さんは真言宗の系統(あるいは弘法大師の由縁)と思ってましたから、ちょっと意外(案内板の文字起こしは記事末)
また『摂津の国から後小松天皇の勅で勧請』とあります。
京阪神で清荒神(きよしこうじん)といえば、清荒神清澄寺(兵庫県宝塚市)を思い浮かべます(真言宗)
後小松天皇の勅(命令)ですからそれを受けて天台宗の荒神信仰をあらわした寺院ということでしょうか。
荒神ですから三面六臂(3つの顔に6本の腕)であるものの、牛に乗り、足も六本という御影は初めて見ます。
御本尊が納められているお堂に鳥居。御真言(ごしんごん)は他と同じで『オン・ケンバヤ・ケンバヤソワカ』
文字起こし)私たちの衣食住すべてを火難盗難やもろもろの悪魔から守ってくださるので三宝荒神とお呼びしますが、経文には人間が生まれる時大切な胞衣(えな)となって守ってくださいます(境内には光格天皇(第119代、江戸晩期)の御胞衣塚もあります)私たちから片時も離れずに安〇を与えてくださると説かれています
山門の案内板には『福徳恵美須神』の名も見られますが、境内と尊天堂の扁額には見えず。
文脈的に、福徳恵美須神=福禄寿のようです。
扁額には弁財天、不動明王、准胝観音(じゅんでいかんのん)、薬師如来の名が並びます。
胞衣(えな)とは胎盤のことで、塚にして祀るケースはたまに見ますが、荒神社の中で祀られているのは初めて見ますし、荒神の依り代(よりしろ)的な考え方も初めて知りました。
魔除けの桃
天台宗は方位を重んじ陰陽道にかかわりますが、築地塀の屋根に桃を飾るところも面白いですね(こういう瓦を留蓋瓦(とめぶたがわら)と言うそうです)
桃はイザナギが黄泉の国から逃げ出す時、追いすがる魔物らに投げつけた果物で「魔除け・方除け」の効力。
本堂の木札に書かれていた「胞衣(胎盤)の役割」と関係するかも、と考えたり。備忘録として書きました。
護浄院 常施無畏寺 案内板(文字起こし)
京都市案内板・文字起こし)常施無畏(じょうせむい)寺と号し、天台宗の寺で通称清荒神という。本尊の清三宝大荒神は千二百余年前、光仁天皇の皇子開成親王の作といわれ、摂津の国にあったのを後小松天皇の勅により僧乗厳(じょうげん)が醒ヶ井高辻の地に勧請し、初めて清荒神といわれた。 その後、慶長五年(一六〇〇)ここに移され、後陽成天皇御自作の如来荒神尊七体を合せ祀って長日の御祈願を行い、元禄一〇年護浄院の院号を賜わり今日に至っている。 また、一般の家庭では、かまどの上に祀られ火の守護神とされる。尊天堂内に安置される福徳恵美須神はもと禁裏に奉安せられていたが、明治維新に際しここに移され、京都七福神の一に数えられ、世に尊信が篤い。 なお、荒神町の地名はここより起こったものという