はじめに
近江国(滋賀県)と伊勢国(三重県)の境の #鈴鹿峠。鈴鹿山の山中の #イワクラ #鏡岩 と #片山神社 にお詣りすべく車で行きましたが、想像以上のカーナビ難所でした
目次
本文
鈴鹿峠の鏡岩への行き方
近鉄電車で四日市駅まで行き、タイムズでレンタカーを借りたので、三重県亀山市方面からのアプローチ。
地図は国道一号線ですが、峠付近は各一方通行ですので、①~④でいったん峠を越えて、山中という名の交差点でUターンしてから⑤~⑥ですが、片山神社(三重県)を目的地にしていると、ナビは⑥付近で突然、案内を終了しますのでお気を付けを。
⑦そのまま慌てずに進むと、⑧左側に『バーベキュー鈴鹿峠』という看板が見えますので(申し訳ないですが)いったん入りましょう(ナビの目的地設定をバーベキュー鈴鹿峠にすると間違わなくてよいと思います)
⑧一号線沿いに細い側道があり、道なりに進むと駐車スペース(車三台ほど)があります。
⑨からの山道が 東海道 です(車が通れないことはないですが私は歩いてゆきました)300メートル進むと片山神社。
境内に入らず『鈴鹿流薙刀術の碑』があります。そこからの山道(東海道)に入ります。
⑩東海道の立て札を登りはじめて、高架が見えてきます。下を抜けて国道一号線向こうの広場へ。
ようやく案内板があります。
ここから(写真奥)の山道が、東海道の阿須波道(あすはみち)です。
文字起こし)鈴鹿峠(378m)を超える初めての官道は「阿須波道」と呼ばれ、平安時代の仁和二年(886年)に開通した。八町二十七曲(まがり)といわれるほど急な曲がり角の連続するこの険しい峠道は、平安時代の今昔物語集に水銀商人が盗賊に襲われた際、飼っていた蜂の大群を呪文をとなえて呼び寄せ、山賊を撃退したという話や、坂上田村麻呂が立烏帽子という山賊を捕らえたという話など山賊に関する伝承が多く伝わっており、箱根峠に並ぶ東海道の難所であった。また鈴鹿峠は、平安時代の歌人西行法師に『鈴鹿山 浮き世をよそにふり捨てて いかになりゆく わが身なるらむ』と詠まれている。江戸時代の俳人、松尾芭蕉は鈴鹿峠について『ほっしんの 初(はじめ)に超ゆる 鈴鹿山』の句を残している
旅に出ようと発心して最初に超えるのが鈴鹿山。芭蕉翁は伊賀(三重県、甲賀の南)の人。
阿須波道(あすはみち)を登り切ったところに鏡岩があります。(次回、近日)