ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【瓢箪山稲荷神社(1)】秀吉公も見た 生駒の大鳥【千成瓢箪・妄想話】

はじめに

天守閣に上った #豊臣秀吉大坂城の巽の方 生駒山の大ガラスの足元に #ふくべ稲荷 を勘請。ふくべは #ヒョウタン のことでこれにて #千成瓢箪となる? #瓢箪山稲荷神社 #保食大神 #瓢箪山古墳

目次

本文

妄想・千成瓢箪(譚)

(風のかたみさん(id:kaze_no_katami)、↓の写真で生駒の大鳥に見えますでしょうか?生駒の一番高いところの南隣です)

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大阪城天守閣から巽(東南)の方角に生駒の大鳥

天下取りの大坂城にて。

秀吉公『ようやっと天下を取って立派な城もでけた。「いこまの山」もよ~見えるのぉ』

秀吉公『おぉ!! あそこに大鳥が見えるぞ。あれはナンジャラホイ』

千利休『あれは古き時代より生駒におわします大カラス。かの聖徳太子四天王寺五重塔から拝んだそうな。足元(麓)にヒョウタンの墓がございます』

ねねさん『父ちゃんのヒョウタン(天下取り)も九九九個にして半里の道。最後のひとつをあそこにお祀りし、千成(せんなり)となさいませ。』

秀吉公『さすが母ちゃん!。千成で豊臣家もチョ~安泰!カァ~カッカッカッ大笑。』

最後は黄門様になってしまいました。こんな会話があったかどうかは知りません。

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千成瓢箪近鉄瓢箪山駅前)秀吉公の旗印

御祭神:保食大神(うけもちのおおかみ)

由緒には 日本三稲荷の一、創建は豊臣秀吉、大坂築城にあたり巽の方、三里の地に鎮護神として伏見桃山城から「ふくべ稲荷」を勧請したるを由緒とする と書かれています。

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瓢箪山稲荷神社東大阪市瓢箪山町)

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瓢箪山稲荷神社 本殿

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瓢箪山稲荷神社 お狐さん

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瓢箪山稲荷神社 狛犬

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瓢箪山稲荷神社 飛狐

ふくべ稲荷

一番奥の戸川神社(御祭神:保食大神)の拝殿前。御由緒にあった「伏見桃山城のふくべ稲荷」の「ふくべ」はヒョウタンのこと(瓢、匏(ヨサ)、瓠)

保食(うけもち)の「ウケ」は豊受大神(女神、トヨウケ)の「ウケ」、稲荷の神・宇迦御魂(女神、ウカノミタマ)の「ウカ」に通じます。

なまめかしさのあるデザインは子宮を表している気がします。下の袋にある「ちょん」は胎児か(勾玉状)。

・・・そして豊臣の「トヨ」。。。妄想がかけ巡ります

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一番奥の戸川神社(紋)

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瓢箪山稲荷神社 境内

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瓢箪山稲荷神社 神馬 御神紋

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瓢箪山稲荷神社 境内

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瓢箪山稲荷神社 後ろに御神体の双円墳

瓢箪山古墳

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瓢箪山稲荷神社 境内図

説明板)鬼塚と大塚からなる双円墳で瓢箪(ひょうたん)の形に似ているところから瓢箪山と称する由縁である。これより東、山手側に展開する山畑古墳群(約60基)の西端に存し、最古最大の古墳である。墳丘の南北の主軸の長さは50m、高さ4mで本殿に向かって右側を鬼塚、左側を大塚という。大塚の横穴式石室の玄室は幅2m・長さは約3m、羨道は幅4m・長さ5mで後期古墳時代前期(6世紀初め)の古墳である。この大塚は狐塚と呼ばれるように以前に神狐が住まわれていた。鬼塚南端には羨道入口の天井石が露出している

やはりあれは丑年の神狐であったか!?

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瓢箪山稲荷神社にて(前回記事より)

www.zero-position.com

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瓢箪山稲荷神社 御神体の双円墳(前円部)

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