ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【転法輪の話(5)】古神道の方位と仏法の習合【本地垂迹/九曜紋】

はじめに

インドでブッダの教え『初転法輪』は方位と習合(九曜神)、日本でも早い段階から道と方位の #熊野信仰 と習合したと考えられます。平安時代神仏習合 #本地垂迹 論 #陰陽道 を経て武家の #九曜紋 にも変化

目次

本文

【転法輪】律令国家運営の基本コンセプト

転法輪は本来、ブッダの教え『初転法輪』に由来するものですが、日本に仏法が入ってきた早い段階から、日本の道と方位の信仰-熊野(岐・クナト)信仰-と矛盾なく受け入れられたと考えられます。(四天王寺・転法輪石・厩戸皇子

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やがてヤマトの律令国家運営の基本コンセプトとなり飛鳥時代以降、さまざまな軋轢・紆余曲折の歴史を織り交ぜて、天皇家(支配者層)においても、神仏習合が進んだものと思われます。

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神仏習合本地垂迹(ほんじすいじゃく)

Wikiより)本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、神道八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである

本地垂迹神仏習合の手段であった と言えるでしょう(以下、開物の考察)

奈良時代(743)、第45代聖武天皇の勅で開墾地の永年私有を認める『墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)』が発布され、大和朝廷にとっては未開の蝦夷(えみし)の地に仏教がなだれ込み、古来(縄文~弥生)からの産土神(うぶすなのかみ)を仏に書き換え、広大な土地の私有化(財源化)にいそしみました。

中でも、平安時代の慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)(第三代天台座主(ざす))は一代で、関東で二百あまり、東北で三百あまりの寺を開山しました(浅草寺、平泉中尊寺、恐山菩提寺(現在は曹洞宗)など)

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九曜紋の成立

日本ではそのような事情もあり、本地垂迹論の多様な解釈のもとで産土神が仏と結びつけられ、どの神がどの仏とは言い難いほどに変化しています。

ひとつひとつの事例を考察するとキリがありませんが、その中で九曜紋はひとつの手がかりになると考えられます。

インドで釈迦の初転法輪と方位が習合して九曜神信仰になり、東アジア(宿曜道)を経て、日本で陰陽道に発展して生まれた世界観、それをデザイン化したものが九曜紋と考えられます。

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インドの九曜神(画像はWikiより)

中心の丸に、タテ・ヨコ・ナナメ2本、四つの直線が交わり八方向に丸(八星)、合計九つの丸紋で、中世・近世の武家の家紋になりました(細川、伊達、相馬、佐久間、保科、青山、千葉、荒尾など。Wikiより)

変わり種としては、三宅氏(源流は摂津、現在の大阪府茨木市)の家紋が転法輪。江戸屋敷跡から現在の三宅坂千代田区永田町1丁目)の地名になった氏族です。

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三宅氏の転法輪紋

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四天王寺七宮の一 土塔(どとう)神社跡 超願寺本堂前の石灯篭に九曜紋

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八正道(転法輪)上から右回りに、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定(画像はwikiより)

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