はじめに
天野川上流域 #哮ケ峰 麓の #磐船神社。神殿に覆いかぶさる巨岩 #天の磐船(磐座)が御神体。御祭神は #物部氏 の祖・天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(#ニギハヤヒ)。#十種神宝 #鎮魂祭 は加持祈祷の根源として #神道 #修験道 #密教 #陰陽道 に影響
目次
本文
御祭神:天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと、饒速日命)
長い御神名ですが『天つ神・国つ神、天火明命(あめのほあかりのみこと)の奇玉(くしみたま)、ニギハヤヒノミコト』という意味でしょうか。
天つ神・国つ神でもあるニギハヤヒはアメノホアカリとは同一神*1 と解釈できます。
御由緒は記事末に文字起こし。
御神体の大岩「天磐船(あめのいわふね)」
御神体の天磐船は、高さ12m、幅12mの巨岩。正面位置からだと、拝殿に覆いかぶさっているように見えます(本殿はなし)
スマホでは全体が入りきらないので、合成写真にしました。
左の写真(3枚合成)は本殿横から。右の写真は(左に写っている)柵の向こうの谷筋に向けて。拝殿に覆いかぶさるような巨岩の下の方と、ゴロゴロ転がっている大岩。
磐船神社 御由緒
文字起こし、要約)記紀や先代旧事本記(せんだいぐじほんき)によると、天孫・饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)はアマテラスの御孫神にあたり、その御命令で高天原から天の磐船(いわふね)に乗って、河内国・河上の哮ケ峰(たけるがみね)に降臨 された。のちに大和に入り、大和・河内地方を開発し、建国の礎を築き、人々より天津神(天より来られた神孫)と崇敬されました。ニギハヤヒが降臨に際し天空より国土を望み「虚空(そら)見つ日本国(やまとのくに)」と言われたことが「やまと」の国号の始まりとされます。十種瑞神宝で鎮魂祭*2 を行い(疫病退散、死人蘇生)、加持祈祷の根源として神道だけでなく、修験道、密教、陰陽道からも崇敬されてきました。子孫は物部氏を形成し、大連(おおむらじ)として歴代天皇に仕え、交野の地には肩野物部という一族 がいました。当神社はニギハヤヒが乗ってきた天の磐船を御神体として祀っています。創始年代は詳らかではありませんが、磐座(いわくら)信仰のカタチから、縄文から弥生への過渡期まで遡ると考えられています。その後、物部氏を中心とした祭祀が行われ、物部氏の滅亡後は山岳仏教や住吉信仰などの影響を受け、平安時代には「北嶺の宿」と呼ばれ、生駒山系の修験道の一大行場に。境内には四社明神*3の石仏や、不動明王像*4が祀られ、弘法大師の作とされる磐船和讃が伝承されています。神仏習合を色濃く残し、今でも例大祭には護摩壇を設けて大火焚祭が行われます。当社大岩窟は古来より行場として知られ、現在でも多くの行者や拝観者が訪れます