ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【ホケノ山古墳(2)】豊鍬入姫命の陵墓 大神神社(檜原神社)と地元の伝承

はじめに

大神神社の境外社 #檜原神社 の御由緒、#國津神社 の案内ともに #ホケノ山古墳 が #豊鍬入姫 の墳墓という伝承を紹介。#三輪山麓 #纏向 をひとつの大祭祀空間と考えると十分にあり得る話です #同床共殿 #倭姫 #元伊勢の旅

目次

本文

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箸墓古墳周辺 國津神社、九日神社、ホケノ山古墳

ホケノ山古墳の被葬者は豊鍬入姫命?

崇神天皇の代まで ー同床共殿(どうしょうきょうでん)ー 宮中にアマテラスとオオクニヌシを祀っており、主に姫巫女が奉祀する伝統でした。崇神天皇(第10代)はこれを畏れて、皇女の豊鍬入姫命にはアマテラスの新しい祭祀場を探すよう命じます(日本書紀崇神六年)。

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豊鍬入姫命は、はじめに倭笠縫邑(やまとかさぬいむら、現在の檜原神社三輪山麓)に祭祀場を定めます。

垂仁天皇(第11代)の皇女・倭姫が、後にこの勅命を継承し、ついには伊勢神宮で、姫巫女とアマテラスの長旅を終えることになります(『倭姫命世記』/元伊勢の旅)

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地元では、ホケノ山古墳が崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)であるという伝承 が残されています。

案内書・最後部)また『日本書紀崇神天皇六年の条に「天照大神(アマテラス)・倭大国魂(オオクニヌシ)二神」を天皇の大殿の奥に並び祭る。然してその神の勢いを畏(おそれい)りて、ともに住みたまふには安からず。故、天照大神を以ては、豊鍬入姫命に託(つ)けまつりて、倭の笠縫邑に祭る」とあり、三輪山麓の檜原の地が倭笠縫邑の伝承地となっています。天照大神の祭祀に奉じた豊鍬入姫命は崇神天皇の皇女で、その墓所が國津神社裏のホケノ山古墳であるという伝承が地元に伝わっています。

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國津神社 拝殿横に掲示された案内書(御由緒)

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豊鍬入姫命の大神(おおみわ)伝承

おそらく地元の歴史研究家の手による國津神社の案内書と同じ内容が、檜原神社大神神社・境外社)にも書かれています。

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檜原神社天照大神若御魂神)三つ鳥居と手前に豊鍬入姫宮(2020年3月撮影)

ホケノ山古墳の案内板には破片と書かれていた 内行花文鏡(ないこうかもんきょう=太陽紋鏡)大神神社 と書かれている点が興味深いですね。

檜原神社御由緒)また「茅原(ちはら)」は日本書紀崇神天皇七年条「神浅茅原(かむあさぢはら)」の地とされています。更に西の箸中には、豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳(内行花文鏡出土、社蔵)」があります

(ここでいう茅原は三輪山麓の茅原のこと。役行者の出身地とされる葛城の茅原(ちわら)ではありません。古くは広大な古代大和湖の湖畔の茅(かや、葦も)の生い茂る(湿)原を「茅原」と呼称していた名残りかも知れませんね。時代とともに豊かな稲作地帯に変わります)

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檜原神社 御由緒

少々長くなりますので、さらに続きます。

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アラハバキ解44)ヤマト創世記 三輪山と纏向

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