はじめに
葛城一言主神社の鳥居から #葛城の道 を徒歩10分。第二代 #綏靖天皇(カムヌナカワミミ) #葛城高丘宮跡。今は碑しかありませんが、一帯は古代豪族 #尾張氏 の拠点 #高尾張邑 があったところと伝えられています #土蜘蛛 #神武天皇(イワレヒコ)
目次
本文
葛城の道・綏靖(すいぜい)天皇 葛城高丘宮跡付近
葛城一言主神社(奈良県御所市森脇432)の鳥居前から 葛城の道 を北に歩いて10分。
欠史八代(第二代 綏靖天皇~第九代 開化天皇)のうちの一人、第二代・綏靖天皇(すいぜいてんのう、カムヌナカワミミ、神沼河耳命)の高丘宮(たかおかのみや)があったと伝えられる綏靖天皇 葛城高丘宮跡。
今は大正四年十一月に立てられた碑(奈良県教育委員会建之)があるだけ。
大和盆地を東に見晴るかす葛城山麓のこの一帯は古くから 高尾張(邑、むら) と称されたところとも伝えられます。
写真中央向こうの三角形の右側がやや変形した形が畝傍山(うねびやま)。麓に橿原神宮が鎮座します。
視界がよければ、畝傍山の少し右側の向こうに三輪山がみえるはずです。
日本書紀には、綏靖天皇のお父上、初代・神武天皇が、日向から東征の旅に出て、熊野(和歌山)から上陸し宇陀(奈良)を経て、ここ高尾張邑(たかおわりむら)に来た時、葛(かずら)のツルで作った網で土蜘蛛を退治した由来から「葛城(かずらき)」と名付けたと書かれています。
神話的ですから、このストーリーが暗示する「史実」を考える必要がありますが、(近くの)葛城一言主神社の鳥居と境内には蜘蛛塚があり、高尾張邑としての舞台装置は整っていますね。(また、離れていますが、高天彦神社の本殿横にも蜘蛛塚。神社近くには蜘蛛窟がありました。)
続きます。