はじめに
畝傍山 北西麓 #スイセン塚古墳。樹々に覆われ視認できませんが #古墳時代前期 墳長約百mの #前方後円墳 で #綏靖天皇(すいぜい)陵墓伝承も。もしそうなら、第二代大王は古墳時代の人ということになり、記紀中心の日本古代史はひっくり返りますね
目次
本文
スイセン塚古墳
(34.49519167743215, 135.7808342619387)奈良県橿原市慈明寺町429
近くの慈明禅寺の墓地入口の案内板の内容を整理すると、古墳時代前期の全長約100メートル程度(後円部約50m+前方部約40m)の 未調査の 前方後円墳ということです。
写真のところから立入禁止の札がたっていましたので、遠目にスイセン塚古墳の方を撮影。
(航空写真で見ても前方後円墳であることは確認できません)
案内板)畝傍山の北西麓、低くのびる岳の尾根上にある 前方後円墳 である。後円部は径約五十メートル、高さ約十メートル、前方部は長さ約四十メートル、幅約三十メートル、高さ約五メートルほどである。埴輪の有無、主要部の構造など学術調査が行われていないので明らかではない。しかし、学問的に注目すべき古式の古墳 であるといわれている。古来「スイセン塚」いう名称にて、綏靖(すいぜい)天皇陵として考えられ伝承をもっているが、現在では単なる言い伝え程度のものである。橿原市教育委員会
案内板には、第二代綏靖天皇(すいぜい、カムヌナカワミミ)陵としての伝承があった と書かれていますね。
先日紹介したすぐ近くの八井神社(八幡神社)は、綏靖天皇(カムヌナカワミミ)弟のカムヤイミミの墓地との伝承があります。
また八井神社は八幡神社とも云いますが、八幡神が前方後円墳の後円部を遥拝・鎮座するカタチは、室宮山古墳と室八幡神社(御所市)でもありました。この様式から考えると八井神社の方向に、後円部があるのかも知れません。
応神天皇陵を遥拝する誉田八幡宮(大阪府羽曳野市誉田)も同じです。
スイセン塚古墳の丘からの眺望
橿考研(橿原考古学研究所)も近くにあり、考古学調査がいまだに入らない理由を不思議に思いますが。。。ひとつ、面白い発見。
スイセン塚古墳の近くの丘から 綏靖天皇の高丘宮跡もある高尾張、葛城の大鴨 を遠望することができます。
自分が住んでいた宮(故郷)を眺める見晴らしの良いところに葬られたというストーリーもあり得ますね。
またグルリと、畝傍山~葛城の大鴨~それに大和二上山をまとめて臨むことができます。大王の陵墓にふさわしい地ではあります。
(34.50069111516257, 135.78974510335863)