はじめに
私たちは教科書で春分・秋分には真東から日が昇り、真西に日が沈むと学びました。先日、纏向遺跡住居群や四天王寺伽藍が、真東-真西ラインより少し傾いていることを紹介しましたが、その理由を考えました #二十四節気 #古代の太陽祭祀と方位学
目次
本文
昨日の続きです。
【科学知】現代の方位学と季節の変化(中学校のおさらい。笑)
太陽は朝、東から登り、夕、西に沈みます。
春分と秋分のころ、太陽は真東から登り真西に沈む、と教科書で習いました。
ごく簡単に言いますと、天文学的な春分(0度位置)と秋分(180度位置)では、地球の自転軸の角度(23.4度)の影響を受けないため、日の出の真東・日の入真西の太陽の方向が同じになります。
一方、日本列島は北半球にあるため、天文学的な夏至(90度位置)には太陽が近くなり(日が高く長くなり、暑くなる)、冬至(270度位置)では太陽が遠くなり(日が低く短くなり、寒くなる)ます。
①地球が丸く、②自転しながら、③太陽のまわりを一年かけてグルっと一周(公転)するという知識と、地球という惑星単位での季節変化と方位の精密測定は、近代以降に確立されたものです。
【経験知】古代の方位学と二十四節気【太陽祭祀の目的】
もちろん、弥生時代晩期の纏向遺跡住居跡(辻地区の建物群、西暦200年代前半~中ごろ)や、飛鳥時代の四天王寺伽藍(西暦593年創建)の頃には、そんな知識はありません。
現在でも親しまれている二十四節気は、自然観察による経験知 から創られてきたものと言えるでしょう。
始まりは弥生時代の稲作農耕のためのタイムテーブルであること、祭政一致の古代では節気を計り周知することが(大)王家や首長の権威を示す上で重要であったこと、と考えることができます。
中でも、稲作の始めと終わりの春分と秋分の、日の出・日の入が示す東西の方位を測ることがヒメミコ(姫巫女)の最重要な仕事であったことでしょう。
もしかしたら、大鏡(八咫鏡、やたのかがみ)の使い方を考えるヒントになるかも知れませんね。
それにしても、このように考えてくると、正確な日の出・日の入の測定の障害となる山や段丘などの自然地形に囲まれた纏向遺跡や四天王寺で、真の東・西から、わずか3~5度の誤差で、東・西を測っていた古代の経験知、、、オソルベシと思いませんか。
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参考までに。2021年の二十四節気表(国立天文台)。(天文学では、春分・夏至・秋分・冬至などの節気と土用などは、地球の公転と太陽の位置関係(太陽黄径)で定義します。)
天文学的な節気や日の出・日の入時間は、同じ日本列島でも地域によって異なります。正確な日時は次のサイトで計算できます。
(例/計算日時を入力→計算地点を入力→太陽の高度と方位GOをクリック。目で確認したい場合は『高度方位』「図化」にチェック→GO。)