ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【大和葛城山】サルメあたりを散策。葛城ロープウェイで山上へ。大和三山の眺め

はじめに

先日紹介した #鴨山口神社。再度参拝して御神像(重要文化財)二体を拝観したかったですが残念ながら非公開でした。神社西の猿目(サルメ)あたりを散策して #葛城ロープウェイ に乗車。#大和三山 の配置が美しいヤマト平野を眺めながら山上へ。

目次

本文

鴨山口神社の御神像二体について報告

先日、紹介した櫛羅(くじら)の鴨山口神社(奈良県御所市)の御神像二体(国の重要文化財)について。

文化遺産オンラインにも神像の写真が掲載されておらず、再度参拝しましたが、神社では非公開ということでした。

秘仏のように何十年かに一度公開するものでもないそうで、残念ながら目にすることはできませんでした。

ただ、衣冠姿の男神坐像(大日霎貴命(おおひるめのもち)と女神坐像(御霊大神(ごりょうおおかみ)は、おそらく前回記事の参考にあげた櫛石窓(くしいわまど)像と豊石窓(とよいわまど)像(兵庫県櫛石窓神社)によく似たものと考えています。

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櫛羅のサルメ

神社の鳥居そばに掲げられた案内板(摂社案内)に書かれた内容。

●『藤原時代前期(800年代)とされる木造坐像』については、奈良県HPでは室町時代に訂正されています(兵庫県櫛石窓神社の櫛石窓像と豊石窓像は室町時代作)

●『重文(国宝)に指定されている』という記述について。指定に至る何らかの経緯があったのかも知れませんが、重要文化財と国宝は異なります。

など、少し注意して読む必要がありますが『当社西方に猿目という垣内(かいと)がある。昔、猿田彦大神が顕れ・・・』と書かれた猿目に行ってきました。

(垣内とは昔の小字(こあざ)にあたるような集落内の小さなエリアを指します。)

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鴨山口神社 鳥居そばの案内板(一部拡大)

地元の方によると、葛城ロープウェイ登山口駅の手前に猿目橋というバス停があり、現在『サルメ』の地名はここだけということでした。

鴨山口神社の記録によると、以前は(現在地の西北方の俗称)岸ノ山に鎮座していたが、一帯で大規模な土砂崩れが起きた後、現在地に再興されたとのこと。

したがって、鴨山口神社は創建時(時期は不詳)、葛城山を望むこの丘陵に鎮座していた可能性があります。

丘陵には立入禁止のロープが張られていて入山できません。入口から覗いてみると奥に大きな石がゴロゴロしていたほか、石垣のようなものも見えました。

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鴨山口神社西方・猿目の丘陵(岸の山?)。背後が葛城山。道路向かい側に猿目橋のバス停

足元に小さなクワガタ君(5センチほど)。道の横断を邪魔したのでしょう。私に威嚇しておりました。笑

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葛城ロープウェイで葛城山頂へ

御所市櫛羅の奥、葛城山の懐、ロープウェイの登山口駅からはヤマト平野を一望できます。

写真の中央右が畝傍山(うねび)、その左上が耳成山(みみなし)、右上に香久山(かぐやま)の『大和三山』。

背景の高い三ツ山(額井岳、大和富士)に溶け込んで少し見えにくいですが、畝傍山の向こうに三輪山

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葛城ロープウェイ・葛城登山口駅前からヤマト平野

10月には、大和三山が囲む藤原京でコスモスが見ごろになります。

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香久山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古へも 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき天智天皇 巻1-13)

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山上駅には十分ほどで到着。

山上駅近くの葛城天神社に参拝しました。次回報告します。

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葛城ロープウェイ

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ロープウェイ車中からヤマト平野。左は天理・奈良市方面

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