ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【(脇本)春日神社】シカづくしが印象に残ったお詣り【旧伊勢街道筋に鎮座】

はじめに

桜井市脇本 #春日神社。境内には #神使のシカ が彫られた春日灯篭。御本殿には二頭のシカの像。拝殿前にシカの角が置かれてました。#伊勢街道 沿いにシカの万葉歌碑。お詣りの後、神社北の山奥の道でシカに出逢いました

目次

本文

長屋の屋根の形をした三輪連山

早起きして桜井に。だいたい6時半ごろから歩き始めます。

近鉄桜井駅の東にJR(桜井線=万葉まほろば線)の小さな踏切。線路の向こうに三輪山を南西から眺めた景色です。

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朝の三輪山

さらに西に行くと、初瀬川(大和川源流)と南から三輪連山(三諸山?、原始三輪山(もとみわやま))。この景色にもすっかり慣れてきました。

本日目指すのは、長屋の屋根型の三輪連山の真ん中より左の麓、脇本(わきもと)の春日神社。

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左)長屋の屋根の形をした三輪連山を南から眺める。右)奥中央が三輪山、手前が初瀬川(大和川源流)

一帯をしっかり歩いて調べようと、国土地理院地図を購入しました。

真ん中の赤い線が国道165号線ですが、ほぼ、大和川源流の初瀬川の流れ、お伊勢参りの伊勢街道になります。

三輪連山の麓は、西から、脇本(春日神社)、黒崎(白山比咩神社)、出雲(十二柱神社)、白河、初瀬、長谷寺の各地区が並びます。

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国土地理院地図(桜井)

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三輪山麓 実りの秋

(脇本)春日神

(34.522136396956114, 135.87472855158722)/桜井市脇本355/駐車場はありません

御祭神:天児屋根命アメノコヤネ)、太玉命(フトダマ)、天宇受受命(アメノウズメ)

アメノコヤネは中臣氏の祖神及び始祖。中臣鎌足を祖とする藤原氏氏神が、全国的に広がる春日(かすが)大社を中心にした信仰)

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(脇本)春日神

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(脇本)春日神社 春日灯ろう(鹿のデザインで知られていますね)

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(脇本)春日神狛犬

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(脇本)春日神社 拝殿

拝殿前に置かれた鹿の角。本物ですね。

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(脇本)春日神

春日神社ですから、神使の鹿の像が置かれています(有名な奈良公園の鹿は春日大社の神使。天然記念物)

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(脇本)春日神社 御本殿

(脇本)春日神社の御本殿は、江戸期慶長年間(1603年)の、三間社春日造(さんげんしゃかすがづくり)*1

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(脇本)春日神社 御本殿(江戸期慶長年間の三間社春日造)

伊勢参りの伊勢街道

春日神社の前は、お伊勢参りの伊勢旧街道筋。

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(脇本)春日神

春日神社の東に、歴史街道の案内(伊勢街道)。

文中『海石榴市』とあるのは「つばいち」。大和盆地の東西南北の要衝で、古代の市があったところ。万葉歌も海石榴市でたくさん創作されました。

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歴史街道の案内(伊勢街道)

万葉歌碑。(雄略天皇。巻9-1664。『夕方になると、小倉の山に休んでいる鹿は今夜は鳴かない。もう寝てしまったのだろうか』。桜井市万葉碑HP)

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夕されば 小倉の山に 伏す鹿し 今夜は鳴かず 寝(い)ねにけらしも

この万葉歌も異説があるんでしょうか(第8-1511;夕されば小倉の山に「鳴く鹿は」今夜は鳴かず寐ねにけらしも。崗本天皇御製歌一首)

普通にWEBで調べると『崗本天皇御製歌(舒明天皇もしくは斉明天皇)』の「鳴く鹿は」の歌が検索されますが、桜井市の万葉碑は「伏す鹿し」で雄略天皇作。

この歌の景色が初瀬であるならば、例えば、小倉の山とは三輪の南山麓のいずれかの山、あるいは、カタチの美しい山の一般名称と解釈できるかも知れません。

www.city.sakurai.lg.jp

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伊勢街道の景色

お詣りの後、脇本の山道を北に上がって行ってみましたが、山道というか林道というか、今は使われていない道でシカに出くわしました。

一瞬のことで撮影できませんでしたが、しばらくキュンキュン(キャンキャン?)という高音の啼き声が針葉樹の林の中で響いてました。

山道に沿って石垣が組まれているところがあります。

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左)脇本奥の山道を北に。向こうの山の奥に三輪山があるはず。右)シカに出逢ったあたり。山道と石垣跡

推測ですが、江戸期まで、三輪山頂(奥津)から稜線を東に進み、この道に下り、脇本から伊勢街道へ合流していたのかも知れません。いわゆるお伊勢参り三輪山詣でを兼ねた上級者コースみたいなもの。(今は三輪山頂には西の狭井神社(山の辺の道)から上り下りする道しかなく、他ルートは禁足地になっています)

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道の先はこんな感じでしたので引き返しました

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珍しい三つが重なった山の景色。手前は脇本あたりの小山(小倉の山?)。真ん中が外鎌山。一番奥の高いのが音羽山

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*1: 三間社:一棟の中に御神体を安置する神殿が三つ並んでいる