はじめに
藤原京の太極殿の北に隣接する #醍醐池。都の内裏にありました。ヤタガラス考察で気づいたのですが、この池は #水鏡の方位盤 #古代の太陽カレンダー だったように思います #持統天皇(女帝)は水辺を巡り、冬至・春分・夏至・秋分の一年と四季を「見ていた」のかも知れません
目次
本文
先日の記事、わかりにくいところがありましたのでリライトしておきました。😣💦⤵️
醍醐池(橿原市醍醐町)
(34.50353346677588, 135.80697647643663)
藤原京の太極殿跡の県道を挟んで北側の 醍醐池(だいごいけ)。橿原市藤原京資料室に掲示されていた史跡地図に 醍醐池遺跡 と記されている所です。
都である時は、天皇一族の私邸、内裏の中心にありました。
この水辺を、あの 持統女帝(第41代、サララ姫)が日々歩き、ヤタガラスを遥拝し、そして得意の万葉を歌っていたと考えると、格別に感慨深いものがあります。
醍醐池の南東角、天の香久山が見える方向に、持統天皇の有名な万葉歌の碑が建てられています。
春過ぎて 夏来(きた)るらし白栲(しろたえ)の 衣乾(ころもほ)したる 天の香久山(あまのかぐやま) (持統天皇巻1-28)
夏が過ぎて夏がやってきたらしい、真っ白な衣が乾してある、天香久山に
この歌は、女性らしい感性が溢れた内容としておおよそ解釈されていますが、実はまったく様相の異なる解釈もあります・・・。このあたりは本日のテーマから外れますのでいずれ。白栲(しろたえ)は亡くなった人に着せるもので、天の香久山は霊山でもあります。
万葉碑から対角、醍醐池の北西角に地元・醍醐町の方々が建立された観音像。由緒には、生きてゆくのに厳しかった封建時代のことが書かれています。
なお、観音様の後ろにちらと見えるのが、藤原京から真北の耳成山(みみなしやま)。
醍醐池。水鏡の方位盤
醍醐池の北東角。先日来、紹介した藤原京のヤタガラスが 見えるところですが、ひとつの仮説を。
現在の醍醐池は、長辺が平均205メートル、短辺が同95メートルの横長の長方形(国土地理院地図より)ですが、東西南北が精密に測量された方形ゆえに人工池であることは間違いないでしょう。
藤原京の時代のスガタ・カタチをどの程度とどめているかは、調べておらずわかりませんが、少なくともこの北東角はヤタガラスを遥拝する場所として、当時からのままであると考えます。
面白いのは、北東角から南西角に引いた対角線の角度が、昨日紹介した、北東(夏至の日の出)~南西(冬至の日の入)を結ぶ傾き29度ラインにほぼ合致していることです。
【計算(記事末の計算サイト)では、現状の長辺(東西)205mなら、短辺(南北)115mぐらいで、対角線の角度が29度でイイ感じになるのですが、実際には95mで、南北に20m足りません。これは、おそらく道路の敷設で醍醐池の南側が道路の幅分の20m、削られた結果と考えることにしておきます(笑)】
醍醐池を水鏡の方位盤と考えると、天皇は日の出と日の入の時間帯に、水辺を歩き醍醐池の各コーナーから景色を眺める(国見する)だけで冬至・春分・夏至・秋分を検知できる仕組みです。(耳成山、天の香久山、畝傍山は大和三山)
このシリーズでは三輪山と大和二上山は初出ですが、両山はヤマト平野を挟んで東西に対面する、つまり、日の出・日の入の位置関係にあります。
ご参考・計算サイト
【計算サイト】直角三角形の底辺と高さから傾斜角を計算(=長方形の対角線の角度を計算)