ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【(遠野大出)早池峰神社(前半)】早池峰山の南、猿ヶ石川と滝川の川合に鎮座

はじめに

紹介するのは #早池峰山 を囲む東の江繁、西の大迫、南の遠野大出、北の門馬のうち、南の #早池峰神社。#薬師岳(前薬師)を源流に遠野市まで流れる #猿ヶ石川 と #滝川 の川合(合流点)に鎮座 #神輿洗い神事 #祇園祭

目次

本文

橋の向こうが(遠野)早池峰神社。あいにくの天気で背後の前薬師(薬師岳)は姿を隠していました。

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(遠野)早池峰神社 門前(猿ヶ石川を渡る直前)

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猿ヶ石川

猿ヶ石川は、早池峰山(1917m)の南側、薬師岳(1645m)を源流として(遠野)早池峰神社を経由して南下し、遠野市街で西進、花巻市北上川と合流します。遠野市を中心とした流域は遠野物語に登場しカッパの川として知られていますね。

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猿ヶ石川(川の流れを調べる地図より)

遠野盆地は、この猿ヶ石川を中心に合流する河川の扇状地として発達し、古く(縄文~弥生時代)は、現在の遠野市を中心にして大きな水域(湖沼)であったと考えられます。

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遠野湖水伝説(右)遠野市立博物館パネル

(遠野)早池峰神社

(39.475739381525834, 141.50926872160963)/遠野市附馬牛町上附馬牛19−81/遠野早池峰ふるさと学校隣。黒門前に駐車場あり

先日紹介した神遣神社(かみわかれじんじゃ)から車で北に6分。遠野市内(遠野駅)からだと車で約30分。

www.zero-position.com

御祭神:瀬織津姫(とされる。ただし現地で確認できたのは早池峰大権現のみ)

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(遠野)早池峰神社 鳥居と随神門

遠野物語 第二十八話】

・・・始めて早池峯に山路(やまみち)をつけたるは、附馬牛村(つきもうしむら)の何某(なにがし)という猟師にて、時は遠野の南部家入部(にゅうぶ)の後のことなり・・・(以下リンク先(青空文庫)・第28話を参照)

www.aozora.gr.jp

(遠野)早池峰神社からは、権現があらわれたという早池峰山は、天気がよくても薬師岳猿ヶ石川の源流)の背後になり見えません。

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早池峰神社 境内図

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(遠野)早池峰神社 御由緒

(*は開物注記)霊峰早池峰の山霊を祀り併せて、早池峰山と共に遠野三山と呼ばれる石神・六角牛の山霊を祀る。草創は大同元年(西紀807)三月八日、猟師藤蔵(後に始閣と定む)が早池峰山頂において権現垂跡の霊容を拝して発心し、山道を拓いて、その年の六月十八日山頂に七尺有余の宮を創建して祀ったのがこの社の始まりである。山頂の社は本宮と称し、承和十四年(西紀847)六月十八日藤蔵、薙髪(*剃髪)して、普賢坊の長子・長円坊が本宮の傍に新たに建立した若宮と共に、現在この早池峰神社の奥宮として祀る。嘉祥年間、天台の高僧、慈覚大師、奥州巡歴の途次、この地に至り、宮寺妙泉寺を創建して坊を大国坊と称し、不動三尊、大国一尊各々本尊を別に新山宮と号し、三間四面の宮を建立し 早池峰大権現 を祀り、脇士(ママ)として薬師・虚空蔵菩薩を併祀、坊には高弟・持福院を住職とし、神宮(*神宮寺)には長円坊を別当として神徒として仕うべきを命じた。祭祀に神仏混淆で盛大に行われて信仰は県外に及び、阿曽沼親綱の時代に百二十石、その後、南部直栄より六十五石、計二百石封禄寄進され、明治維新に至り、排仏毀釈(ママ)により、妙泉寺は廃され、新山宮改め、早池峰神社として現在に至った。その間、寛治年中、妙泉寺の宗派が天台宗から真言宗にかわり、文治五年火災にて全焼する等の変革を経て、現在の神殿は享保三年の建築で、東西四十三尺一寸・南北三十三尺七寸有り、用材は主として楢・栗等を使用している。その他神楽殿、神門、黒門、社務所等の備あり。神門は文化年中の建立で、もと仁王門と称し仁王を安置していたが、妙泉寺の廃寺と共に土淵の仏師・田中円吉作の随神像に替えた。昔は古例として年七回の祭儀を執り行ったと伝えられる。今は年一回旧暦六月十八日に例祭を行っているが、近くの滝川に神輿を渡御して川の水を濯(すす)ぐ行事は、京都の祇園御霊会(*祇園祭)の神輿(みこし)洗いの行事と同じく、上代における様式を存し、他に余り例がないと云われる。昭和58年6月、附馬牛町、長男会

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(遠野)早池峰神社 随神門(もと仁王門)

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(遠野)早池峰神社 随神

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(遠野)早池峰神社 参道と手水舎

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(遠野)早池峰神社 御本殿

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(遠野)早池峰神社 御本殿

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(遠野)早池峰神社 御本殿

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(遠野)早池峰神社 境内

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