はじめに
遠野 棄老伝承の山口集落 #デンデラノ は #山口Ⅰ遺跡 で縄文後期・晩期の土器破片が採集されています。#遠野物語(第112話)には近くの #ホウリョウ(土淵町石仏) から技巧の優れた石加工品類が出土したことも書かれています
目次
- 【遠野物語第112話①】ダンノハナ(遠野に六ケ所)は村境の岡の上
- 【遠野物語第112話②】あまた石器を出す山口のデンデラノと蝦夷屋敷、字ホウリョウ①
- デンデラノ=山口Ⅰ遺跡(縄文時代前期~中期)
- 【遠野物語第112話③】デンデラノの渦文の蝦夷銭、字ホウリョウ②
- ホウリョウについて
本文
【遠野物語(青空文庫)】※第111話、第112話が関連する話
【遠野物語第112話①】ダンノハナ(遠野に六ケ所)は村境の岡の上
遠野物語第111話には、遠野にはダンノハナというところが六ケ所あると書かれています。(ここ山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺、火渡(ひわたり)、青笹の字中沢、土淵村の字土淵)
続いて第112話。(以下、①、②、③に分けて紹介)
第112話①)ダンノハナは 昔館(たて)のありし時代に囚人を斬(き)りし場所なるべしという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。仙台にもこの地名あり。山口のダンノハナは大洞(おおほら)へ越ゆる丘の上にて館址(たてあと)よりの続きなり。蓮台野はこれと山口の民居を隔てて相対す。
蓮台とは仏様(仏像)が乗る台座のこと。平安京にも蓮台野と云われた葬送地がありました*1。遠野との関係はわかりませんが(慈覚大師?*2)、仏教での「あの世とこの世の境」、古神道での「サイノカミ」的な空間的概念は共通しています。
(「レンダイノ」→東北訛り「デンデェノ」→「デンデラノ」???)
このような点から、デンデラノ(蓮台野)は、この世からダンノハナ(あの世)に向かう所という意味合いがあり、姥捨て伝承もそういうところから生まれたのではないかと推理しています
(棄老は遠野の伝承であることに留意。個人的には飢饉のときなどにあったかも知れませんが、全老人が追い遣られる風習というものではなかったと考えています。)
第112話②)(※山口の)蓮台野の四方はすべて沢なり。東はすなわちダンノハナとの間の低地、南の方を星谷という。此所(※蓮台野)には蝦夷屋敷(えぞやしき)という四角に凹(へこ)みたるところ多くあり。その跡(あと)きわめて明白なり。あまた石器を出す。石器土器の出るところ山口に二ヶ所あり。他の一は小字(こあざ)をホウリヤウという。ここの土器と蓮台野の土器とは様式全然殊(こと)なり。後者(※蓮台野)のは技巧いささかもなく、ホウリヤウのは模様(もよう)なども巧(たくみ)なり。埴輪(はにわ)もここより出づ。また石斧石刀の類も出づ。
柳田国男の明治時代は、縄文時代はもちろん弥生時代の画期や編年に関して現在のような知見の蓄積がなかったいう前提でお読みください。
山口集落でデンデラノとされるところは、山口Ⅰ遺跡(縄文時代後期・晩期)とされる史跡でもあります。土器破片20個が採集されています。
理由はわかりませんが、現地には縄文史跡の表示や案内がまったくありません。ただ縄文遺跡(埋め戻し)の上を歩いた人ならわかるかも知れませんが、地面のフカフカ~ッとした感じがヤケにそれっぽく感じていました。
第112話③)蓮台野には蝦夷銭(えぞせん)とて土にて銭の形をしたる径二寸ほどの物多く出づ。これには単純なる渦紋(うずもん)などの模様あり。字ホウリヤウには丸玉・管玉(くだたま)も出づ。ここの石器は精巧にて石の質も一致したるに、蓮台野のは原料いろいろなり。ホウリヤウの方は何の跡ということもなく、狭き一町歩(いっちょうぶ)ほどの場所なり。星谷は底の方(かた)今は田となれり。蝦夷屋敷はこの両側に連なりてありしなりという。このあたりに掘れば祟(たたり)ありという場所二ヶ所ほどあり。【補遺】○外(ほか)の村々にても二所の地形および関係これに似たりという。○星谷という地名も諸国にあり星を祭りしところなり。
蝦夷銭。。。二寸は6センチ。縄文時代にはさすがに銭形とはいっても貨幣ではなかったでしょうね。さてこれは。。。
ホウリョウについて
大正11年に作成された出土遺物の一覧表には、遠野市土淵町の 石仏(いしっぽとけ) という所から、管玉のほか、石斧(せきふ、おの)・石鏃(せきぞく、やじり)・石匙(いしさじ・せきひ、用途不明)・石皿(いしざら)・石劔(石の剣?、石棒の可能性大)・円石が出土したことが記録されており、ここがホウリョウであると考えられています。
これらのバラエティ豊かな出土品セットは、デンデラノ(山口Ⅰ遺跡)と重複する時代のものと推定され、したがって②で書かれた埴輪は『縄文土偶』のことかと思われます。(埴輪は古墳時代のもの)