はじめに
桓武天皇が平安京の中心とした #五条天神宮。「天子の宮」(天使社)と称されました。三柱の御祭神のうち #スクナヒコ のこん跡が濃厚。秀吉が天神宮を突き抜ける道を通したことから #天使突抜 という町名が生まれました
目次
本文
五条天神宮
御祭神:大己貴命(オオナムチノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、天照大神(アマテラスノオオミカミ)
(34.998927771077604, 135.75490871019673)/京都市下京区天神前町351−2/四条烏丸交差点から徒歩10分/境内に数台の駐車スペースはあり(京都市街中心地のため先着駐車がある場合は近隣の有料駐車場を利用)
五条天神宮は、先日紹介した京都市内の通りの数え歌(東西)の松原通りと、南北の西洞院通りの交差するところに鎮座しています。
御由緒)祭神として大己貴命(オオナムチノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、天照大神(アマテラスオオミカミ)を祀る。社伝によれば、延暦13年(794)、桓武天皇の平安遷都にあたり、大和国宇陀郡から天神(あまつかみ)を勧請したのが当社の始まりといわれる。当初は「天子の宮」(天使社)と称した が、後鳥羽天皇の時代に「五条天神宮」と改めた。創社の頃は社殿も広壮であったが、中世以降、度々火災に遭い、元治元年(1864)の蛤御門(はまぐりごもん)の変で社殿は焼失した。現在の社殿は近時の再建である。当社は古来、医薬・禁厭(きんえん、まじない)の神として広く崇敬され、今なお節分には、厄除け祈願のために参詣する人が多い。例祭は毎年五月十日に行われる。京都市
祭事の案内に書かれている「宝舟授与」は、宝船を描いた絵札(寶舟圖、たからぶねえ)の頒布のこと。舟に一本の稲穂が描かれた素朴なもので、日本最古の宝舟のデザインといわれています。
珍しい御神紋ですね。調べてみると「唐草葵、からくさあおい」とのこと。
神話では、スクナヒコはガガイモの舟に乗って出雲の国に登場しますが、この御神紋はガガイモであるとする説を唱える人もいます。実際にガガイモを見たことが無いので何とも言えませんが、宝舟の方はスクナヒコが乗っていたガガイモの舟(アメノカガミノフネ、天乃羅摩船)を表しているのかも知れません。
平安京ができる前、ここに古墳の丘があり、桓武天皇は平安京の中心としたとも伝えられています。
私は、スクナヒコはクニ造り(国土開拓、出雲の都市国家、平安京創都)の起点(基点)となるところに祀られた(天神、天子、天使)と見ており、桓武天皇の見立ては古式にのっとったものと考えられます。
クニ造りにおいて、水の流れは極めて重要ですが、平安京創都の時代、五条天神宮前の西洞院通りは川だったそうです。
川には橋が架かっており、ここが義経と弁慶が出逢った「五条の橋」と伝えられます(現在の五条大橋はここより東1.5キロの賀茂川に架けられています)
五条天神宮の南に天使突抜(てんしつきぬけ、一丁目~四丁目)という町名がありますが、中世でも神聖視されていた一帯の森に、伏見への道を無理やり通した豊臣秀吉の事跡が由来です。以来、五条天神宮の御神域は縮小してゆき、現在に至ります。
五条天神宮 境内
筑紫天満宮、臥牛像(梅花紋)、四社の祠(中でも福部社と白太夫社)がまとまっています。いずれも菅原道真公、あるいは五条天神宮のすぐ近くに鎮座する菅大臣神社との関係がうかがわれます。