ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【神明神社(京都市下京区)】平安京のモンスター 鵺(ぬえ)退治 必勝祈願の社

はじめに

ライオンの頭・ヤギの胴・ヘビの尾の #キメラ はギリシャ神話の怪物ですが、平安時代平安京に、頭が猿・尾が蛇・手足が虎の #鵺(ぬえ)の伝説。退治の勅命を受け #源頼政 が必勝祈願した #神明神社。余談で #うつほ舟

目次

本文

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神明神社京都市下京区神明町

(35.003493284117006, 135.76152377873834)/京都市下京区神明町四条烏丸交差点から徒歩5分。綾小路を入る

御祭神:天照大神菅原道真(戦後に合祀された文子天満宮の御祭神)

御由緒(京都市案内板))当地は、平安時代末期、近衛天皇(在位1141-1155)がしばしば皇居としたと伝わる藤原忠道(近衛天皇の養父)の屋敷跡で、「四条内裏」または「四条東洞院内裡」と言われた。この邸内にあった鎮守の社が神明神社で、天照大神を祭神とし、創建年代は明らかでないが、平安時代から今日まで人々の崇拝の社となっている。社伝によると、近衛天皇の時代、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺(ぬえ)」という怪鳥が毎夜、空に現れ都を騒がせた。弓の名手であったという源頼政は退治の命を受け、神明神社に祈願をこめた後、見事に鵺を退治した。この時使われた弓矢の 「やじり」二本が当社の宝物として伝わっており、今でも祭礼の時に飾られる。当社が厄除け・火除けの神と言われるゆえんである。その後、天台宗の護国山立願寺円光院という寺によって管理されていたが、明治初期の神仏分離令によって当社だけが残され、それ以来、神明町が管理を行っている。榎の大木があったので「榎神明(えのきしんめい)」とも言われた。また当社には豊園小学校内(現在の洛央小学校)に祀られていた文子天満宮(あやこてんまんぐう)(菅原道真を祀る)の祭神が戦後合祀されている。祭礼は九月の第二土曜日とそれに続く日曜日である。京都市

頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺(ぬえ)」。黒雲に乗って空を飛ぶ(境内に貼られた絵)

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頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺(ぬえ)」

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神明神社 御本殿

謡曲「鵺」

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謡曲「鵺」の案内板

案内板中、鵺の声が似ていたという「鵺」はトラツグミのこと。なにか物悲しく、真夜中に聞くと不気味に聞こえるでしょうね。


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神明神社の絵馬(源頼政のやじりと鵺退治の図)

紹介した『鵺』譚は、朝廷での藤原忠道の冷遇と復権の事件が、やがて保元の乱(1156)に繋がり、平治の乱(1159)とあわせて平家(平清盛)の時代に移ってゆく直前、都の情勢が不安定な時期の話。

源頼政摂津源氏系(多田源氏とも)ですが、平治の乱の功績により、平家隆盛の時代に従三位(源氏の筆頭)まで上り詰めた人です。

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神明神社 絵馬 源頼政のやじり

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神明神社 絵馬 源頼政の鵺退治

京都市内には、頼政が退治後に矢じりを洗った鵺の池跡などが残りますが、またあらためて紹介したいと思います。

【余談】うつほ舟について

謡曲「鵺」の案内板にうつほ舟=丸木舟と書いてありますね。

世阿弥風姿花伝に『かの河勝、欽明、敏達、用明、崇峻、上宮太子に仕え奉る。此芸をば子孫に伝え、化人跡を留めぬによりて、摂津国難波の浦より うつほ舟 に乗りて、風にまかせて西海に出づ』という一文があります。

文脈的に厩戸皇子聖徳太子)に仕えた秦河勝(はたのかわかつ)の最後を描いていますが、生きた者が乗るものではない(あの世に向かう、あの世とこの世をさまよう)舟に乗って西の海に出航します。『うつほ舟』の具体的なイメージが湧かなかったのですが、神明神社の案内板では丸木舟と解説されていますね。(虚舟(うつろぶね)とも云われUFO説もあります。笑)

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