はじめに
遠野で一番人気の観光地 #カッパ淵。遠野の川には #河童 がたくさん棲んでいたそう(#遠野物語)。近くに八幡太郎(源義家)と矢を撃ち合ったという #安倍氏 の屋敷跡。その末裔が祀ったという稲荷社
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カッパ淵
遠野では二か所のカッパ淵を見学。山口集落(39.35858982906469, 141.61242249662203)のカッパ淵はリンク先をご覧ください。
観光地として有名なカッパ淵はこちら(39.35418943883262, 141.57052482809522)。(2021年10月18日見学・参拝)
このあたりにはカッパが今でも棲息しているらしく、大好物のキュウリがエサの釣り竿。。。かじられていました。
遠野物語第55話の冒頭『川には川童多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。』遠野ではカッパは身近な存在であったらしく、ほかにも伝承の地があるようです。
現地案内より)・・・この淵には河童駒引き(※開物注、遠野物語第58話)の伝説を伝える河童神様を祀っている。祠の中には乳首の縫いぐるみが奉納されており、乳の信仰に転化している興味深い民俗がある。
安倍(阿倍)屋敷跡と稲荷社
安倍氏(平安時代、宗主・安倍貞任の時代に滅びますが、子どもが津軽に移住して津軽安藤氏を興す)の経歴を簡単に 前回記事 に書いています。よかったらご覧ください。
案内板)遠野物語第68話に「土淵村には安倍氏という家ありて貞任(さだとう)が末なりという。昔は栄えたる家なり。今も屋敷周囲には堀ありて水を通ず。刀剣馬具あまたあり」と記されている。昔から地は、屯館(とんだて)と呼ばれ、平安時代後期に北上川流域に勢力を誇った安倍氏の一族(貞任の弟・北浦六郎重任)が屋敷を構えたと伝えられている。現在も掘の跡などの遺構が残り、この地に続く阿部氏は安倍氏の転じたものと伝えられている。屋敷跡の東北にある稲荷社は、約400年前に安倍氏の養子となった人が甲州(山梨県)より勧請し氏神としたもので、近郷でも古い社の一つといわれている、明治の初め頃まで旧暦二月十五日の祭例日には「ダンビラケー(ダンビラ祭)」が行われていた。近郷の山伏を一堂に集めて、湯立の儀式を行い巫女が笹を振りながら巫女舞を踊ったといわれている。近くにカッパ淵がある。遠野市
説明に書いてある1050年ごろというのは平安時代、安倍貞任が京都の朝廷に反旗をひるがえした前九年の役(1051-1062)頃の話。この役で宗主・安倍貞任が戦死し安倍氏は滅亡。八幡太郎とは源義家(よしいえ)のこと。前九年の役の朝廷方の総大将・源頼義(よりよし)の息子(鎌倉幕府を開いた源頼朝の四世前、河内源氏の系譜)で、役では父親をよく補佐しました。
それにしても安倍氏。水辺の一族なんですよねぇ。子孫の津軽安藤氏(鎌倉時代)は広大な十三湖を舞台に安東水軍を組織しました。。。そして遠野のカッパ。
(何となく匂うのですが、いかんせん知識と情報不足。これ以上の考察(妄想)にはまだまだ時間がかかります)
祠の奥に見えるのは修験道(山伏)の創始者である役行者(えんのぎょうじゃ)の像。
カッパ淵と稲荷社から帰る道すがら、道路越しに青いカッパ人影。
夕方で薄暗くなり始めた時間でビックリしますがな。笑。たき火を見つめて今年を振り返っておられるのでしょうか。無事、稲刈りも終わりご苦労様でした。