はじめに
先日紹介した奥津軽・相内神明宮から北に車で約6分。#山王坊日吉神社 に参拝。境内には #十三湊(#十三湖)を支配した #津軽安藤氏 の菩提寺 #阿吽寺跡(南部氏に焼き打ちされる) とされる #山王坊遺跡。その高度な文化が垣間見えます
目次
本文
2021年10月16日参拝。
三角屋根型のある山王鳥居。
この鳥居は平成5年に放映された大河ドラマ「炎(ほむら)立つ」の十三湖・十三湊(とさみなと)ロケを記念して建てられたそうです。(平安時代、みちのく王国を築いた安藤氏~奥州藤原氏の物語。原作:高橋克彦)
(安藤氏が滋賀県大津市の山王日枝神社を勧請して建立したと伝承されています。元社は比叡山の山麓にはるかに古い時代から鎮座(磐座)していましたが、延暦寺(天台宗)の守護神として開祖・最澄によってあらためて祀られるようになったのが山王日枝神社です。)
(41.06581898621967, 140.3684870774469)/青森県五所川原市相内岩井84/先日紹介した相内神明宮から車で約6分。神社入口に駐車スペースあり。
十三湖の北側(先日紹介した相内神明宮)の奥まった丘に鎮座し、神社の東側を山王坊川が流れます。
①当社は安藤氏(鎌倉時代)に関連するものであること、②境内には安藤氏の祈願寺の阿吽寺(あうんじ)があった、③15世紀に南部氏に焼き討ちされた寺跡が山王坊遺跡と呼ばれている。
南部氏に敗れた安藤氏はその後北海道(蝦夷地)に渡りました
山王坊日吉神社境内
山王坊遺跡(阿吽寺跡)
案内板より)山王坊遺跡は十三湊安藤氏の盛衰と一致する十四世紀中ごろから十五世紀中ごろ(南北朝~室町前期)に繁栄を極めた神仏習合を如実に示す貴重な宗教遺跡です。
境内では現在、阿吽寺の三つの建物跡が発掘されています。写真は遺跡案内図の中央の建物跡です。
中世蝦夷の宗主的な安藤氏の菩提寺。平安の都風の大きな寺院だったようです。
朝廷から蝦夷と呼ばれた人々の、精神的・物質的な文化レベルを示すこん跡で、安藤氏の時代にはすでに、都に引けをとらないレベルに達していたことを示しています。
畿内を中央と考えるとき、列島の辺縁に興った『もうひとつのクニ』、、、「まつろわぬ人々」の歴史を考えるなら、このイメージの転換は重要です。