ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【津軽安藤氏の足跡】北海道松前町の阿吽寺【山王防日吉神社(阿吽寺跡)から】★★★

はじめに

先日紹介した奥津軽 #山王坊日吉神社(阿吽寺跡)。鎌倉末期、ここを開いた #津軽安藤氏 は南部氏との戦いに敗れ道南に移住。安藤氏のその後の消息がツイッター仲間からいただいた情報で明らかに #海渡山阿吽寺 #松前町 #不動明王

目次

本文

北海道に渡った安藤氏

先日紹介した山王坊日吉神社(さんのうぼうひえじんじゃ)(青森県五所川原市相内岩井)。境内に津軽安藤氏の菩提寺であった阿吽寺の跡(山王坊遺跡)がありました。

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津軽安藤氏は鎌倉末期に南部氏と戦い敗れ、蝦夷地(道南)に渡ったと伝えられる』と書きましたが、ツイッターで仲良くさせていただいている@mono_rhythmicさんに 北海道松前町の阿吽寺 のことを教えてもらいました。

松前町の阿吽寺は、安藤氏が北海道に渡って開創したお寺で、御本尊も津軽海峡を渡ったことから、山号海渡山 であるとのこと。

海渡山 阿吽寺(北海道松前郡松前町松城)真言宗

写真は@mono_rhythmicさん(了解をいただき掲載させてもらいました)

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海渡山 阿吽寺(北海道松前郡松前町松城)(monoさん撮影)

(41.43194112434551, 140.1099378766732)/北海道松前郡松前町松城371

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松前町 阿吽寺 本堂の屋根に虚空を貫く剣(monoさん撮影)

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松前町 阿吽寺 御本尊 不動明王 平安時代後期の作(11世紀~12世紀)(monoさん撮影)

松前町の文化財ページにたいへん重要なことが紹介されています。以下要約。

● 津軽安藤氏は祖先が天台宗であったがやがて 真言宗に傾倒 したこと

● 津軽安藤氏(真言宗)と後に津軽を支配した南部氏(天台宗)の争いは、宗教戦争 の様相も呈していた(と考えられる)

● 山王坊日吉神社の御本尊の不動明王は、安藤氏とともに津軽海峡を渡り、道南の阿吽寺の御本尊になった

www.town.matsumae.hokkaido.jp

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松前町 阿吽寺 本堂(monoさん撮影)

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松前町 阿吽寺 本堂(monoさん撮影)

安藤氏が真言宗に傾倒した理由について★★★

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

平安~鎌倉時代の東北、特に津軽天台宗(慈覚大師、円仁の行跡)の影響が強く、この時代の真言宗のこん跡を見つけられずにいましたが、なんと!、蝦夷の宗主であったともいえる安藤氏が真言宗に傾倒していたとは驚きです。

しかし、なるほどと思うところもあります。

このあたりの『点と線』には少し解説が必要ですが、真言宗の開祖、弘法大師空海さんは幼名を佐伯真魚(さえぎのまお)といい、父方が四国讃岐の佐伯氏、母方が河内の阿刀氏。

佐伯氏は奈良時代までのヤマトの東国管理の過程で讃岐に移住させられた蝦夷の一族。一方、阿刀氏は海人・安曇(あど)氏の系統。

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上の記事でも紹介している通り、空海さんは幼少のころ母方の阿方氏の河内で育てられた可能性が高く、蝦夷はもちろん安曇海人族との交流も深かった であろうことが想像されます。

蝦夷言葉は訛りが強くヤマトでは理解しにくい言語だったとされます。その通訳を担ったのが佐伯氏。空海さんは語学の秀才でもあり、遣唐使の留学時代に、その語学力で活躍したことは知られています。)

もしかしたら空海さん、入唐前、20代の謎の10年の間に、持ち前の機動力(航海)と語学力で、自身のルーツである津軽(東北)にも行ってたんじゃないかと妄想してしまいますね。

*****

こういった点を繋ぐ中で、アト(阿刀)→アド(安曇)→安藤・安東 という(妄想)仮説が成り立つならば、安藤氏が真言宗に傾倒した理由を、この方向から考えることができるかも知れないと考えています。

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