ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【山神社(大山祇神社)】磐梯山大噴火で水没した桧原宿の総鎮守【桧原湖】【20221029追記】

はじめに

福島県 裏磐梯 #桧原湖 北岸 #山神社(大山祇神社)に参拝(21年10月下旬)明治の磐梯山大爆発で水没した桧原宿の総鎮守。高台の御本殿は残りましたが一の鳥居は水没、今でも湖面に少しだけ顔を出します

目次

本文

山神社(福島県耶麻郡北塩原村檜原)

桧原子北岸の山神社(大山祇神社)青い点

(37.72270062489606, 140.04143854079493)/福島県耶麻郡北塩原村檜原桧原湖北岸、県道64号(会津若松裏磐梯線)道路から湖畔に下る/近くの桧原歴史資料館(グーグルマップではらぁめんやの近く)に駐車場あり。徒歩約20分/

山神社(大山祇神社福島県耶麻郡北塩原村檜原)

県道64号から湖畔の山神社に下る道のところ

明治21年1888年)7月15日の磐梯山の大爆発で、桧原湖がせき止められた影響で、戦国時代より栄えた桧原宿が水没しました。

(湖底に沈んだ桧原宿のジオラマは近くの桧原歴史資料館(37.72740441824629, 140.0461281899217)で見ることができるとのこと)

神社入口の「史跡旧米沢街道桧原宿跡」の看板

桧原湖に水没した参道と一の鳥居 山神社

山神社は高台にあったため、かうろじて水没をまぬかれ、当時の姿のまま残されていますが、参道と一の鳥居は水没しました。

今でも水位が低下する時期、一の鳥居が湖から頭を出すのが見どころです。

お詣り時には、旧参道脇に連なる根株の先、沖合20メートルほどのところに、一の鳥居の頭が水面に見え隠れしていました。

山神社(檜原湖北岸)

山神社 案内板

山神社(桧原湖畔)

山神社 本殿

案内板より、前半要約)山神社は『新編会津風土記』によると「村北山麓にあり。鎮座の始まりツマビラカならず。1488(長享2)年穴沢越の中越家が再興セリと云う」と書かれています。桧原宿の総鎮守で、山の神、桧原金銀山(会津三大金山の一)の神も祀っています。『桧原覚書』にはトゲのある生垣に囲まれた「金堀町」に1520人が暮らし、小屋敷56軒、商売小屋31軒、湯屋2軒、お金蔵などがあったといいます。甲賀衆の忍者二人をはじめ、常に4人が御金蔵を監視していました。・・・湖水が引くと参道にあった杉の根株や旧鳥居が見られます。その先約100mの湖底約15mに桧原宿がありました。

山神社(大山祇神社)檜原湖北岸

山神社(大山祇神社)御本殿

桧原湖と山神社の景色

あいにくの天気でしたが、ほんの少しだけ日が差しました。

桧原湖と山神社の景色

桧原湖

桧原宿 大山祇神社付近 水中探査 水中考古学(20221029追記)


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