はじめに
七不思議は #北野天満宮 にも。その六に挙げられるのが #裏の社。御本殿の裏、北側にあり、道真公のおじい様・清公卿、お父上・是善卿、土師氏の祖先神・天穂日命の三柱を祀っています。#御后三柱
目次
本文
北野天満宮さんの公式HPに七不思議を挙げています。
【北野天満宮 七不思議 その三・星欠けの三光門】
【北野天満宮 七不思議 その二・筋違いの本殿】
筋違いの本殿とは、①写真の向こう、楼門からまっすぐ参道を歩いてきても、②御本殿域には左に折れて入場する配置のことをいいます。
北野天満宮の公式見解では、③に見える朱色の地主神社(北野の地主神)に対して、参道が向かっていて、後に建てられた菅原道真公を祀る御本殿は、地主社の正面を避けたという解釈です。
私は少し違う妄想意見なんですが、②の御本殿に東から入場する門の方向を、一頭の臥牛像が何かを見張るように置かれているところが興味深いですね。
北野天満宮 七不思議 その六・裏の社
楼門からの参道を地主神社に歩いてきて、北野天満宮の北東角から、西の方を撮影した写真です。
一枚目が御本殿の方(2月26日)、二枚目は、地主神社の並びの方(12月30日)をそれぞれ撮影したものです。
御本殿の北側、つまり御拝殿の方からみると、裏側に、裏の社があります。
御祭神:天穂日命(あめのほひのみこと)、菅原清公卿(すがわらのきよきみきょう)、菅原是善卿(すがわらのこれよしきょう)/神徳:学徳成就
天穂日命は、道真公の遠い祖先の神*1、菅原清公卿は菅公の祖父、是善卿は菅公の父である。清公卿は若くして遣唐使に任ぜられ、空海・最澄や橘逸瀬(たちばなのいつせ)らと入唐。その成果をもって、朝廷儀式の改革に努められた。後に菅原氏として初めて公卿に列せられる。是善卿は、十一歳の時、嵯峨天皇の御前で書を読み詩を作られた俊才で、大学頭・勘解由長官等の要職を歴任された後、政治の最高機関である太政官の重職「参議」に列せられた。両人とも文章博士(もんじょうはかせ、古代の大学で詩文と歴史を教授した教官)を勤め、清公卿は学問所『文章院』を創設、また是善卿は『菅家廊下』なる私塾の充実に力を注ぎ、ともに優れた人材を多数教育されるなど、実戦的教育者として大きな業績を残されました。
裏から拝む神社
北野天満宮のように、御本殿を裏から拝むスタイルは、たくさんではありませんが、私が参拝した中では三社ほどありました。
大阪・石切剣箭神社本社(穂積殿あたり)
大阪・瓢箪山稲荷神社(ふくべ稲荷・戸川神社)
*1:土師氏の祖神