はじめに
京都は、平安京の時代から #丹波太郎 #山城次郎 #比叡三郎 #雷三兄弟 に悩まされてきました。中でも #天門 北西からやって来る威力抜群の長男は #清涼殿落雷事件 の犯人。その通り道に #鬼伝説
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本文
京都市中京区桑原町
ピカッ!ゴロゴロ~!と鳴れば、くわばらくわばら と唱えると雷が落ちないという言い伝えをご存じでしょうか。
京都御所の南、丸太町通り、京都地方裁判所前の道路に地名が残る桑原町が発祥地とされています。
写真では、麩屋町通りの案内を100メートルほど進んだ道路のあたりが桑原町。
菅原道真公の御霊が起こしたとされる清涼殿落雷事件。
諸説ありますが、激しい雷雨が平安京のあちこちに被害をもたらしましたが、菅家に関係する人の住まいがあった桑原あたりだけ雷が落ちなかったことにあやかって、以来、雷よけのまじないに『くわばらくわばら』と唱えるようになったという話。
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麩屋(ふや)町通りと綾(あや)小路通りが交差するところ。あやふや 発祥の地。
京都雷三兄弟。長男は丹波太郎
江戸期以降と考えられますが、雷のことを太郎 というようになりました。
京都(盆地)では、丹波太郎、山城次郎、比叡三郎の雷三兄弟 が知られています。
平安京(京都市)は山に囲まれた盆地ですが、雷三兄弟は、それぞれのルートを通ってきます。
丹波太郎は北西(天門)の 愛宕山 から、山城次郎は南東の奈良盆地から、比叡三郎は北東(鬼門)の琵琶湖・比叡山からあらわれ、都を襲います。
中でも、歴史的に被害が一番大きいとされる長男の 丹波太郎 が有名。
清涼殿落雷事件の記事では『干天続きで、雨乞いの儀式の開催について醍醐天皇の清涼殿で太政官会議が開かれた6月26日(旧暦)、午後から 北西の愛宕山 から発生した黒雲が、都を覆い雷雨が降り始めます。』と紹介しましたが、まさしく、丹波太郎です。
ちょうどこんな感じで、北西の日本海側で発生した雷雲が、愛宕山を超え、北野天満宮の上空から、平安京清涼殿を襲います。(清涼殿は、写真の北野天満宮の右下そば辺りにありました。)
愛宕山の向こうがどうなっているかと云いますと。。。平安京(丹波口)に繋がる山陰街道(山陰本線が通る)が見えますね。
山陰街道は日本海側で発生した雷雲の通り道 で、標高900メートル級の愛宕山を超えて力を増し、平安京に入ります。
愛宕山からはるか北西方向に、大江山(京都府福知山市)も見えます。
清明神社(京都市上京区)と北野天満宮の記事で、『渡辺綱(わたなべのつな)の髷を掴んで愛宕山に連れ去ろうとした鬼が、名刀・髭切丸(鬼丸)で腕を斬られ、綱は鬼の腕とともに北野天満宮に落ちた』という鬼伝説を紹介しました。
平安京の鬼伝説は、ドラクエと同じく、ラスボス・大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治して大団円を迎えるのですが『清明神社-北野天満宮-愛宕山-大江山』は、初期平安京中心(内裏、清涼殿)からみて北西のライン方向に並びます。
このラインは、気象学的に、雷の丹波太郎の通り道でもあるところに、歴史考察の面白さがあります。