はじめに
祇園祭、神田祭とともに日本三大祭りに数えられる天神祭が斎行される #大阪天満宮。大宰府に向かう菅原道真公が難波津から出立する際、舟待ちの時、当地の #大将軍社 に参拝したのが由緒。境内の梅が見ごろ
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本文
(34.69621566292192, 135.51268900811678)/大阪市北区天神橋2丁目1−8/境内駐車場あり。JR大阪天満宮駅・大阪メトロ谷町線 南森町駅から各徒歩5分
御祭神:菅原道真公/創建:949年(天暦3年(949年)
南面した表大門には方位盤が置かれています。その理由は後ほど。
大阪天満宮 境内と梅
御本殿を挟んで、向かって右に紅梅、左に老松。京都の北野天満宮とは逆ですね。
境内の一角に、松尾芭蕉翁の碑。
楳咲て よろこぶ鳥の景色かな(うめさいて よろこぶとりの けしきかな)
大阪天満宮 大将軍社 表大門の方位盤の秘密
大将軍社は、白雉元年(650年)に孝徳天皇が難波長柄豊碕宮(なにわのながらとよさきのみや、現在の大阪市内の難波宮跡)に遷都した際、都の西北で、**道饗祭(みちあえのまつり)*1**を斎行する社を置いたのが始まり。後に(おそらく平安初期に)方位神を祀る大将軍社になりました。
昌泰四年(901)に菅原道真公が大宰府に向かう途中、大将軍社に参拝した故事から、村上天皇(醍醐天皇の次代)の御世・天歴三年(949)に大阪天満宮が創建されました。
大阪天満宮HPには『大将軍社は天満宮の御鎮座よりも約300年遡った650年に創建』『大阪天満宮では元日の歳旦祭の前に、大将軍社にて「拂暁祭(ふつぎょうさい)」というお祭りを行い、神事の中で「租(そ)」と言う借地料をお納めする習わしになっている』と紹介されています。
また『大将軍社のいわれや歴史、信仰はここでは控えさせていただきます。』と書かれていました。
案内文・要約)道明寺を出立された菅公は、難波之碕(なにわのみさき)に向かい、大宰府への舟待ちの間に大将軍社に参拝されました。大将軍社の神は西方を司る方位神で、菅公は西への旅の安全を祈願されました。天歴三年(949)に、大将軍社の前に一夜にして七本の松が生え、夜な夜な輝き始めると、時の村上天皇は、菅公ゆかりの奇瑞(きずい)として大阪天満宮を創祀しました。表大門の十二支方位盤に西(酉)には、道明寺の説話*2により『鶏』を避け、大将軍の乗物である『鳳凰、ほうおう』に代えています。
西の方位を司る大将軍神
*1:参考:都の四隅を守る都市斎場、https://www.zero-position.com/entry/2022/01/18/160000
*2:菅公は大宰府への道中、おばの覚寿尼を道明寺に訪ねますが、思いのほか早く鳴いた一番鶏により出立を早めなければいけなかったという故事。この時、菅公は『鳴けばこそ別れも受けれ鶏の音のなからん里の暁もかな』を詠んでいます。