ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【木島坐天照御魂神社(2)】境内の白清稲荷と天塚古墳の白清大神

はじめに

太秦 #蚕の社 #白清稲荷 は洞窟のような稲荷の祠。直後に参拝した #天塚古墳 石室の #白清大神 とソックリ。繋がりはその夜に判明。偶然が次々と繋がってわかったお話

目次

本文

木島神社境内 白清稲荷

京都の神社仏閣・史跡をめぐる時は、四天王寺さんの古本市で手に入れた新撰京都名所図会(昭和34年初版)を読んでから行きます。

これほどの掘り出し物は無く、京都の観光地になるような大抵の所は、京都人の著者(竹村俊則氏)の解説はもちろん、ところどころ図絵入りで載っています。確か七冊セットで(ちょっとマケてもらって)1500円だったでしょうか。もしどこかの古本屋で見かけたらぜひゲットしてください

京都名所図会 木島神社(蚕ノ社)境内図(参道途中の左に白清稲荷)

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南から北に向かう境内の参道の途中に、椿丘大明神の碑。

木島神社境内参道途中 椿丘大明神の碑

お狐さん二匹。その間の石橋に「椿丘」の名にふさわしく椿がふたつ。お誘いされているようで。笑

石橋を渡ると、奥にいくつかのお稲荷さんを一か所にまとめた御神域がありました。

木島神社境内 椿丘大明神の碑の奥のお稲荷さんの御神域

木島神社(木島坐天照御魂神社、通称蚕ノ社)は秦氏(はたうじ)に所縁のある社ですから、お稲荷さんが鎮座していることは重要です。

なぜなら、全国のお稲荷さんの総本社 伏見稲荷大社京都市伏見区 の創建には、秦氏が深く関わっているからです。

祠が四つありましたが、一番左(鳥居正面奥)が白清稲荷で、残りの三社のうち、どれが椿丘大明神かはわかりませんでした。

なお、椿丘大明神は、木島神社の御本殿域の西(左)側に鎮座する末社(三十八所神社)の一社として合祀されているとのこと(新撰京都名所図会より)

白清稲荷(白清社)

入口にかかる石に『白清社』の文字が彫られていて、ここが白清稲荷であることがわかりました。

洞窟のような祠は、お稲荷さんの社では初見。伏見稲荷の数々の お塚 にもないスタイルです。

木島神社(蚕ノ社)境内 白清稲荷(白清社)

木島神社(蚕ノ社)境内 白清稲荷(白清社)

まさか、この後、参加した太秦(うずまさ)の古墳巡りツアーで、ほとんど同じものを目にするとは考えもしていませんでした。

天塚古墳(太秦古墳群のひとつ。古墳時代後期の前方後円墳

(35.0072948128154, 135.71204568140882)/京都市右京区太秦松本町18/蚕ノ社から南に徒歩15分。周辺は住宅地で駐車場はありません

天塚古墳 案内板

案内板に書かれているように、古墳時代後期の前方後円墳(全長70m)で、二基の横穴式石室(横から石棺を入れる形式)を持ちます。

二基のうち一基は史跡内にある宗教団体の建物の奥にあるため、宗教団体の人がいないときは、施錠されており入れません。

石室に入ろうとしたときのデジャブ感。一瞬、蚕の社の白清稲荷に戻ったのかと思いましたよ。笑

天塚古墳 石室に設けられた白清大神

天塚古墳 石室の白清大神(お稲荷さん)

天塚古墳 石室の白清大神(お稲荷さん)

蚕の社・白清稲荷と天塚古墳・白清大神

実は頭が混乱して、ツアーガイド(考古学者)にこの件を質問するのを忘れてしまいました。

あらためてツアーの企画会社に質問しようかと考えていた矢先。。。その日の夜、may55さんのツイート。(@mayfair_55_55)

なるほど!蚕の社の白清稲荷は『天塚古墳の発掘作業時にここ(白清稲荷)に移築された』というのが真相でした。

それにしても、ご縁というのか何というのか。こういう偶然があるんですねぇ。

may55さんは、続くツイートで蚕の社木嶋神社)に移築されたものの、後に村の人に夢の中で「天塚古墳に返してほしい」とお告げがあり、元の天塚古墳にも(現在のように)祀られて、両方に存在しているとか。』と紹介されています。

もしかしたら、白清稲荷さん(天塚古墳の被葬者)は、今でも天塚古墳に帰りたがっていらっしゃるのだろうか、などと僭越ながら、夢想しております。

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