ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【木島坐天照御魂神社(4)】バラエティ豊かな歴史が詰まった末社・三十八所神社

はじめに

木島坐天照御魂神社(#木島神社 #蚕の社)の末社・三十八所神社には歴史が詰まっていました。三社の御由緒が判明、備忘録として書いておきます。#椿丘大明神 #魂鎮神社 #顕名霊社 #鎌倉殿の13人 #三井家

目次

本文

末社・三十八所神社

木島坐天照御魂神社(木島神社)御本殿域

木島坐天照御魂神社(以下、木島神社)の御本殿域の

正面に向かって右が、同社が蚕ノ社と云われる所以となった養蚕守護の蚕養(こかい)神社。

たいして正面に向かって左に、末社・三十八所神社が鎮座しています。

木島坐天照御魂神社 向かって左に末社・三十八所神社。右に蚕養神社(蚕ノ社

木島神社の創建は少なくとも西暦700年以前で、山背(やましろ)時代(平安京創都前は山背、創都後を山城といいます)より、一帯に住まいした人々の信仰地であったらしく、時代で変遷した神々が、この末社にまとめられている可能性があります。

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(備忘録として)現時点でわかった範囲で、三十八所神社に祀られている神社と歴史について書いておきます(時代並びではありません)

①椿丘大明神

先日、天塚古墳(京都市右京区太秦松本町18)に祀られていた稲荷社(白清大神)が、明治の発掘時に、木島神社に移されたことを紹介しましたが、本来、この地付近には椿丘神社(稲荷社)が鎮座しており、現在は合祀されているようです。

参道の椿丘大明神の石碑

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②魂鎮神社(たましずめ?)と鎌倉殿の話

放映中の大河ドラマ「横浜殿の13人」で、山本耕史さんが演じる三浦義村には、胤義(たねよし)という実弟がいました。

(義村も胤義も佐藤B作さん演じる三浦義澄が、伊東祐親の娘と婚姻しており、それぞれ父母とした兄弟。。。一時、義村(おい)が八重姫(おばさん?)を口説いてましたね。笑)

この胤義は鎌倉幕府御家人となりましたが、鎌倉方(執権は北条義時)と京方(天皇勢力)が争った承久の乱(1221年)では京方に加勢して破れ、木島神社で自害したと伝わります。

(ちなみに、京方の順徳天皇佐渡に流されます。)

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魂鎮神社はその鎮魂のための社ということです。

顕名霊社(あきなれいしゃ)と三井家

三井家は、もともと近江南部を勢力としていた六角氏に仕えた武家で、織田信長公の近江攻めで主君を失い町人となり、伊勢・松坂で商売を始めた三井則兵衛高俊の父・三井越後守高安命(みついえちごのかみたかやすのみこと)を祀ります。

商売にあまり関心がなかった高俊にかわり、妻の殊法が実質的に経営(質屋、酒みそ屋)し、彼女の息子の代から高利が登場し、越後屋(今の三越)を創業します。

三井家の歴史は、下記リンク先に詳しいです。

www.mitsuipr.com

三井家の祖霊社である顕名霊社(あきなれいしゃ)は、西陣の呉服を商った三井家が木島神社(蚕ノ社)に勧請した社でしたが、明治42年に下鴨(鴨川デルタ)の三井家邸に遷座したのに併せて、元社は三十八所神社に合祀されたという次第です。

旧三井家下鴨別邸

三柱鳥居は、享保年間に修復されたと木島神社の案内板に書かれていますが、越後屋の創業者・高利の息子・高平の時代で、おそらく高平が行ったものと考えられます。

三井家と下鴨神社、また、三柱鳥居の関係は、思いのほか密接で、どこまでわかるかわかりませんが、詳しく調べ中です。

三井家(越後屋)の暖簾(江戸時代)

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