ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【波切不動明王・石上布留社①】阿刀(あとう)氏について。現状わかっていること。まとめ

はじめに

東寺の北大門から数分、#波切不動明王(なみきりふどうみょうおう)#石上布留社(いそのかみふるしゃ)が並んでいます。さほど大きくない境域に #弘法大師 #空海さん の血脈を考える上で、たいへん重要な歴史が詰まっています #佐伯氏 #阿刀氏

目次

本文

波切不動明王と石上布留社(いそのかみふるしゃ)

波切不動明王から

石上布留社から

(34.98344831644674, 135.74836733711882)/京都市南区九条町/東寺北大門から徒歩数分(住宅地内のため駐車場はありません。駐車場は東寺に専用駐車場があります)

波切不動明王と石上布留社案内板(京都市

京都市の案内板には、重要な史実が紹介されていますね。何回かに分けて文字起こししておきます(一部、開物が追記)

【案内板①】弘法大師の地盤(おじば)真言宗政所(まんどころ)東寺執行家(とうじしぎょうけ)

東寺執行家は弘仁十四年(824年)から明治四年(1872年)まで、1048年の間、真言宗の政所(まんどころ) であった。そしてこの政所の 宰主は、阿刀(あとう)家であって、歴代世襲職(おやゆずり)であった。阿刀家は、弘法大師の生母の里方である。阿刀家世襲のこの政所は、弘法大師の父の実弟で、阿刀家の女婿(むこ)となった、阿刀大足の時、はじめられた ものである。

書かれていることを捕捉しますと、

● 空海さんの御父上は讃岐の佐伯氏(さえぎし)で、その実弟にあたる大足(おおたり)が阿刀氏に婿養子で入った。

● その大足が、東寺執行(しぎょう)職の政所(まんどころ)をはじめた

御母上(玉依御前、たまよりごぜん)は、阿刀氏の娘で、佐伯氏の嫡流・田公(たぎみ)に嫁ぎ、空海さん(佐伯真魚、さえぎのまお)を生みます。

案内板を文字通り読みますと、阿刀氏は娘(姫)を佐伯氏に嫁がせる一方、佐伯氏は次男を阿刀氏に婿入りさせた ということですから、両家に濃密な姻戚関係があったということです。

阿刀(あとう)氏について(現状わかっていること。まとめ)

阿刀大足(あとうのおおたり)は、御母上(玉依御前)の義理の弟になり、空海さんの叔父さん にあたります。

(当ブログでは大足のことを御母上の「兄上」と書いていた記事もありましたが「義理の弟」の誤りです。各過去記事を修正しておきました)

そして、空海さんは叔父さんを頼って平安京に来て、その叔父さんのもとで、最初の学問(儒教道教)を学びました。

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もともと阿刀氏は河内(跡部)を地盤とし、おそらく河内(住吉津・難波津)と大和を繋ぐ水運・土木を担った古代豪族であったと考えられます。

難波津・住吉津と大和国を繋ぐ古代水路(喜連小学校・外柵の歴史パネルより)図の右下先に阿刀氏の跡部神社

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個人的には阿刀の響きや水運にも関わっていたことから、安曇(あど、あずみ)海人族の血脈を推理していますが、

物部氏系を示す『連、むらじ』を名乗っており(阿刀連)、新撰姓氏録(815年)に『石上朝臣(いしのかみあそん=物部氏)の支族、饒速日命(にぎはやひのみこと)の孫の味饒田命の後裔』となっていることから、物部氏系と考えられています。

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