はじめに
大阪平野(摂津・河内)から見て #生駒山系 は日出ずるところ。#天照大神高座神社 の栞には例えば #住吉大社 と同緯度、つまり #太陽の道 で繋がっていることが書かれていました
目次
本文
天照大神高座神社の方位と太陽の道(当社栞より)
天照大神高座神社の参拝の栞に、たいへん興味深いことが書かれていました。
高安山・天照大神高座神社と太陽の道)当社は太陽の道が交差する高安山に鎮座されています。摂津一ノ宮の 坐摩神社 からみる冬至の日の出は天照大神高座神社の磐座(いわくら)から生まれて高安山山頂から昇ると考えられてました。『日本書紀』には「等乃伎神社の大木に夕日が当たるとその影は高安山を越えた」とあります。大阪府高石市に鎮座する 等乃伎神社 からは夏至の日の出が高安山山頂から昇ります。当社は住吉大社と同じ北緯34度36分45秒に位置します。この東西線上には明石海峡、住吉大社、天照大神高座神社、信貴山、法隆寺が一直線に並ぶ のです。住吉大社からは春分の日、秋分の日の日の出が当社の磐座から生まれて上るのです。当社は古代から人々が信仰してきたパワースポットでありました。
なお、ここでいう坐摩神社の位置は、現在の大阪市中央区石町、今は行宮(あんぐう)となっている旧鎮座地のことです。
天照大神高座神社 東向きの拝殿と北西を向く御本殿
たしかに、天照大神高座神社の拝殿は西、崖の上(写真上にチラリ)の御本殿は北西を向いています(栞が説明するように30度の傾き方向であれば、御本殿は、ここから見て、夏至の日の入の大阪平野、つまり(坐摩神社が鎮座する)古代上町半島の方向を向いていることになります)
崖上の御本殿近くは禁足地のため、確認できませんが、御本殿には女陰形の岩窟(イワクラ?、御神体)が鎮座していると。
また、平安時代に成立した隣接する岩戸神社の御神体の弁財天像は、その岩窟に鎮座していたとも聞きます。
ゆえに「岩窟弁財天」と称されたと伝わります。
天の岩戸神話の光景でしょうか。現代の私たちが持つ神話のイメージと少し違いますが、もしかしたら、その原点であるようにも思えます。