はじめに
大阪城外堀 南西に #生国魂神社お旅所跡。ここは生國魂神社(天王寺区)の元宮。太古、海に囲まれたこの地は #クニウミ祭祀 の聖地。ここから #天照山(#生駒の大鳥)を見晴るかすことができます #十種神宝 #生玉 #足玉 #生島大神 #足島大神
目次
本文
生国魂神社 お旅所跡
大阪城はぐるりを外堀が巡っていますが、その南西コーナー付近、ちょうど、南外堀の西端のところに 生国魂(いくたま)神社 お旅所跡 があります。
(34.684110228157984, 135.5222792619949)/大阪市中央区大阪城3(大阪城南外堀西端)/大坂歴史博物館から徒歩5分。大阪城公園内のため周辺駐車場を利用。
お旅所(御旅所)とは、日頃、御本殿に鎮座する御祭神が、祭りの時に限って御神霊が乗り遷る神輿(鳳輦、ほうれん、とも)が、境外に出て(渡御して)、一時的にとどまる所を言いますが、ここはその跡ということです。
生國魂神社の夏祭り(渡御巡幸、2020年以降、三年連続で中止)では、本社(大阪市天王寺区生玉)を出発した長い渡御巡幸行列は、ここ御旅所跡まで向かいます(約2キロ)。
生國魂神社の元宮
生國魂神社は、豊臣秀吉公の大坂城築城に際して、ここから南に約2キロの現在地に遷座させられました。
案内)生國魂神社記に曰く。豊臣秀吉、石山(いしやま)の旧跡に大坂城を営むこととなるや神域(生國魂神社)が城内に入るの故を以て、此処(天王寺生玉町)に奉遷し参らせたり。(中略)この時、城内の旧跡にも小社を残したりという。後世までも大阪城内廓の中庭に生玉の神木と伝えし老松一樹立ちたりというは、小社の名残なるべし
太古のクニウミ祭祀の現場
お旅所「跡」とはいうものの、ここは(おそらく2000年前、つまり紀元前後の)生國魂神社の創建地で、そのため、御祭神(生島大神・足島大神)は約2キロの道のりを経て渡御するのです。
生島(いくしま)・足島(たるしま)の二柱は、日本最古級の神様と考えられ、私は個人的に、日本のクニウミのアダムとイブ、イザナギ・イザナミの原型(モデル)と考えています(記紀による書き換え)
また、河内期物部氏の 十種神宝(とくさのかんだから)の生玉・足玉 として表現される、古神道の原初的な神霊とも考えています。
生国魂神社お旅所跡の視野
生国魂神社お旅所跡で面白いのはその視界・視野です。
写真の南外堀の向こうに、約20キロ先の生駒山系をのぞみます。
南外堀は、豊臣期大坂城とともに造営されたもの。(徳川期大坂城再築の際に、古い豊臣期堀跡に改めて石垣が築造され、現在の姿に)
お気づきでしょうか?
南外堀のまっすぐ先の生駒山系の中、羽根を広げた大鳥の姿(頭は天照山)を、ほぼ正面に、見晴るかすことができます。
大阪城の南外堀は、真の東西に対して、地図ではやや右下がり、数度傾いて掘られていますが、これは、秀吉公が生駒の大鳥(天照山)の視野・視界を重視していたこん跡かも知れません。
なぜ重視したのか?
秀吉公は、太古の時代(縄文~弥生)、西・北・東が海(水辺)に囲まれたここが、弥生の海退(かいたい)とその後に続く沖積平野化を見渡すことができる クニウミ祭祀の聖地 であったことを、認識していたからではないかと考えています。
秀吉公は、西に向かって海を埋め立ててゆき、現在の大阪市街を創った、つまり、戦国時代・中世の クニウミの支配者 でありました。