ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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【百万遍知恩寺】賀茂社を崇敬した法然上人の念仏根本道場【大数珠繰りのお寺】

はじめに

京都知恩院とは別ですが、同じ浄土宗の総本山のひとつ #百万遍知恩寺賀茂社(上賀茂・下鴨)の神宮寺の起源を持ちますが #法然上人 が止宿した草庵の事績から浄土宗の拠点に。境内に鴨族の #鴨神社(鴨明神)

目次

本文

百万遍知恩寺京都市左京区田中門前町

(35.02999076932705, 135.78071516114608)/京都市左京区田中門前町103/京都大学吉田キャンパス北側。京阪電鉄出町柳駅から東へ徒歩10分。百万遍交差点の北東すぐ

案内)長徳山功徳院と号し、浄土宗八総本山の一つである。もと賀茂社(かものやしろ、上賀茂神社下鴨神社の総称)の社領とされた今出川の北(今の相国寺の辺り)に賀茂の河原屋と呼ばれる草庵があり、賀茂宮司の懇請により 法然上人*1 もこの庵に止宿し、布教の地とした。上人の死後、勢観房源智上人(せいがんぼうげんちしょうにん)が尊師を敬慕し、その地に御影堂を建て功徳院知恩寺と名付けたのが当時の起こりで、賀茂社の神宮寺としての起源を持つ。元弘元年(1331)、疫病が流行した際、第八世の善阿上人(ぜんなしょうにん)が御所にこもり、七日がかりで百万遍の念仏を唱えて疫病を退散させたので、後醍醐天皇から 百万遍 の寺号を賜った。その後、各地を転々とし、寛文元年(1661)にこの地に移った。本堂には本尊として法然上人四十三才の頃の姿を現したと伝える木造を安置し、その東南の御堂には釈迦如来座像を、西方の阿弥陀堂(念仏堂)には阿弥陀如来立像をそれぞれ祀る。以下省略

百万遍知恩寺 案内

円座で、南無阿弥陀仏を唱えながら、僧侶や信徒らで回される大数珠(1080珠:数珠繰り)が、障子扉の上にちらりと見えます。

百万遍知恩寺 本堂

百万遍知恩寺

境内社(鴨明神(鴨神社)と百萬弁財天)

『賀茂宮司の懇請により、賀茂社の神宮寺*2としての起源を持つ』と書かれているように、もともとは上賀茂・下鴨神社の神宮寺として創建されたお寺で、境内(本堂西)には、鴨神社(鴨明神)が残されています。

法然上人が賀茂社を崇敬したことから、草庵を拓いたところ(賀茂社の神宮寺)を念仏根本道場としました。

百万遍知恩寺は、北の田中神社と南の京都大学吉田キャンパスの間に位置し、ここには、古い時代の鴨族の氏神があり、その名残が鴨明神であると考えられます。

鴨明神(鴨神社)明神鳥居

百萬弁財天 神明鳥居

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百万遍知恩寺 鐘楼

雨でイガ栗が青いまま、落ちてしまったのでしょうか?

百万遍知恩寺

百日紅サルスベリ)の花

仏足石

百万遍知恩寺

知恩寺を出て、向かいが京都大学吉田キャンパス

京都大学吉田キャンパス

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*1:浄土宗の開祖

*2:神仏習合時代の様式で、神社境内地の神社も管理する寺組織のこと。もともと神社があって後に寺が創建されるパターンが多数で、仏教が力を持った時代、神宮寺には別当といわれる僧侶が着任した