ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

出雲の国譲りの続編。諏訪に伝わるもうひとつの国譲り神話

はじめに

諏訪盆地には、出雲とは別のもうひとつの #国譲り神話 が伝わります。出雲の力比べで #タケミカズチ に敗れた #タケミナカタ が #科野国 #州羽の海 に逃げ込んだというストーリーのいわば続編。#洩矢神

目次

本文

■ 守矢家の伝承~その一【ミシャグジ神(アラハバキ考)】

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■ 守矢家の伝承~その二【御頭祭】

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諏訪に伝わるもうひとつの国譲り神話

神長官守矢資料館で購入した『神長官守矢資料館のしおり』は、すくなくとも千数百年以上続いた、諏訪大社上社の神長守矢家の伝承が、現当主(第78代)守矢早苗氏の証言とともに紹介され、たいへん興味深い内容です。

今回は 諏訪のもうひとつの国譲り神話(青文字は神長官守矢家資料館のしおりより)

諏訪盆地には、「古事記」に書かれた出雲の国の国譲神話(くにゆずりしんわ)とは別にもうひとつの国譲神話がいい伝えられています。そのことは室町時代初期に編まれました「諏訪大明神画詞*1諏訪大明神絵詞。すわだいみょうじんえことば)」などに記されています。

【参考】諏訪大社上社(~明治期)のマネジメントは、建御名方命(たけみなかた。姫神八坂刀売神とともに諏訪大社の御祭神)の子孫の諏訪氏が大祝という生神(いきがみ)の位に、洩矢神の子孫の守矢氏が神長官という筆頭官位に就いた二頭体制。

諏訪大明神画詞(権祝本)Wikiより

大和朝廷による日本統一以前の話になりますが、出雲系の稲作民族を率いた建御名方命がこの盆地に侵入 しました時、この地に以前から暮らしていた 洩矢神を長とする先住民族 が、天竜川河口に陣どって迎えうちました。建御名方命は手に藤の蔓(つる) を、洩矢神は手に鉄の輪(かぎ)を掲げて戦い、結局、洩矢神は負けてしまいました。

守矢家系譜 祖が洩矢神(神長官守矢家資料館のしおりより)

その時の両方の陣地の跡には今の藤島明神(岡谷市川岸三沢)と洩矢大明神(岡谷市川岸橋原)が、天竜川をはさんで対岸にまつられており、藤島明神の藤の木はその時の藤蔓が根付いたものといいますし、洩矢大明神の祠は、現在、守矢家の氏神様の祠ということになっています。

出雲の国譲り神話(古事記/ざっくりあらすじ)

国譲り神話・タケミカズチとタケミナカタ(イラストACより)

出雲の国譲り神話(古事記/ザックリあらすじ*2)。

天津神高天原)は、出雲の国(葦原中国、あしはらのなかつくに)に(軍神)経津主神*3(ふつぬしのかみ)と(武神)建御雷(たけみかずち)を派遣

■ 建御雷稲佐の浜で、国津神の王・大国主(おおくにぬし)に国譲りを迫る(Yes? or No?が転じて稲佐)

稲佐の浜弁天島(無料写真ACより)

大国主は息子の事代主(ことしろぬし)に返事を任せた→事代主はYes→もうひとりの息子・建御名方(たけみなかた)はNo

■ そこで建御雷は、建御名方と力比べを行い、建御名方を打ち破り、国譲りが成る

■ 建御名方は科野国(しなののくに、諏訪)の州羽の海(すわの海、諏訪湖)に逃げこみ、二度と諏訪から出ないことを誓う

諏訪の国譲り神話(解説)

守矢早苗氏が伝えるもうひとつの国譲り神話は、出雲の国譲り神話の続編 ということになります。

出雲の国譲り神話に対して、諏訪の方は神話的要素が少なく、それだけ史実成分が濃厚であると判断しています。

*****

私は『弥生時代出雲族による都市国家群の構築、古墳時代は主に河内期物部氏の王権支配』を基本的な史観としていますが『(守矢家伝承の)出雲系の稲作民族を率いた建御名方命が…』という表現は、各地の稲作弥生文化の成立に関する自分のシナリオ*4に一致します。

その過程においては、列島各地で先住民族…もちろん、縄文文化との習合があったと考えていますが、その一例が、諏訪における洩矢神建御名方命の邂逅(かいこう)であったということになります。

私は基本、出雲族も縄文もビジネスライクで基本的にはWIN-WINの関係で平和的に習合したと推理・認識していますが、しかしやはり、地域によっては文化衝突や軋轢による争乱もあったと考える方が合理的でしょうね。

争乱の様子は『建御名方命は手に藤の蔓を、洩矢神は手に鉄の輪(かぎ)を掲げて戦い…』と、この部分が神話化していますが、さて、互いに手に持ったものは何を暗示しているのでしょうか。

建御名方命弥生文化洩矢神は諏訪の縄文文化で、それぞれを象徴するもの(権威材、紋など)でしょうか。

そう考えないと、鉄が蔓に負けるという話は、理解できません。

藤の蔓(ふじのつる)に関しては、前回紹介した御頭祭(おんとうさい)の祭具に藤刀(ふじかたな)が登場することと関係があるのかも知れません。

稲作以前の諏訪盆地の八人の長者

守矢早苗氏が伝える守矢家伝承)口碑によりますと、その(洩矢神の)ころ、稲作以前の諏訪盆地には、洩矢の長者の他に、蟹河原の長者、佐久良の長者、須賀の長者、五十集(いさり)の長者、武居の長者、武居会美酒(えみし)、武居大友主などがすんでいたそうです。

守矢早苗氏が紹介する守矢家伝承ですが、これも面白いお話ですね。

洩矢神のころ、稲作以前の諏訪盆地には、八人の長者が居たという話。

長者という言葉や、最後の二人、会美酒(えみし)・大友主が姓(武居)に対する名前で、いずれも後世の創話的ニオイがしますが、逆にそう割り切ってしまう根拠もありません。

さて、皆さんはどうお考えになるでしょうか。

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*1:Wikiより)1356年(正平11年 / 延文1年)成立。全12巻。著者は、神氏(諏訪大社上社の大祝、諏訪氏)の庶流・小坂家の出身で室町幕府の奉行人であった諏訪円忠(小坂円忠)。原本は現存しないが、書写本として権祝本、神長本、武居祝家本などがある

*2:出雲伝承は、国譲り神話に描かれた内容はメイキングストーリーとしています。例えば、稲佐の浜の談義はなかった、コトシロヌシオオクニヌシの息子ではないなど。私自身はその征服の史実は各地の神社にこん跡として残っていると考えており「出雲後物部」カテゴリーとして紹介しています

*3:剣の神。香取神宮(千葉県)春日大社奈良県)の御祭神の一柱。春日大社は春日四神のうちもう一柱はタケミカヅチ。「フツ」音が入り物部氏系。ちなみに春日大社の社紋は「下がり藤」

*4:稲作技術を全国に伝搬させた原動力は、出雲の首長(カミガミ)体制を基盤にした都市国家づくり(弥生時代の海退=クニウミとクニビキ)であったと考えています