はじめに
諏訪信仰の根源(マザーストーン)とも云われる磐座 #小袋石 参拝。御神域の参道(山道)に並ぶ #磯並四社 は重要視されている割に由緒伝承がなく、ゆえに諸説あり難解🤔
目次
本文
小袋石(こぶくろいし、おふくろいし)が鎮座する諏訪大社境内地
(35.9895109111273, 138.12409274980013)/長野県茅野市宮川 高部635/諏訪大社上社前宮から徒歩約30分。駐車場はありません。近くの道路に通行の妨げにならない程度のスペースあり。
御神域への入口立札に、ここが諏訪大社の境内地(飛び地)であることが書かれています。
一帯は縄文時代も含む磯並遺跡の地で、その意味で縄文以来の諏訪信仰の原初(あるいは諏訪大社の元宮)という見方もあるようです。
案内:小袋石と磯並社)諏訪七石のひとつで磐座(いわくら)信仰遺跡である。別名「舟つなぎ石」ともいう。高さ六間五寸、横四間二尺と古図にある。小山のような石である。小松数本が石の割れ目に自生し、塚上に舟をつなぎ易い杉が見られる*1。太古、諏訪湖の水がここまでついていて、舟を繋いだと言い伝えられている。小袋石の下方に石の祠があり「磯並社」である。大祝職位の時の 上十三所御社参 の重要祭場のひとつ。近くに瀬明神・穂股明神・玉尾明神もあったという。古図 によれば、神事屋・舞台・五間廊・帝屋*2などがあって、旧暦三月牛日祭りには、草花でかつらをつくり、額にかける風習があった
案内中「古図」というのは「(諏訪大社)上社古図(中世、天正年間)」のことで、写本が数本残されており、うちひとつは神長官守矢資料館に展示されています。
(資料館の古図は撮影禁止のため、本記事では「八ヶ岳原人」さんのブログに紹介された古図(詳細な写真)を閲覧できるよう各社ごとにリンクしておきました)
実際、諏訪大社上社では、磯並四社を重要視しており、現在でも四月に祭礼が行われています。
諏訪大社上社の境外三十九社は上十三所、中十三所、下十三所と分けられていますが、案内の通り、磯並四社はいずれも「上」に含まれます。
磯並社(いそなみしゃ)
斜面を上ってゆく途中、最初の石の祠の磯並社。四方に真新しい御柱。
なお、磯並社も含めて、当御神域の四社とも「舟形」の石の上に立てられています。
諏訪大社の記録によると、御祭神は「玉依姫命、池生神」だそうです。
玉依姫命が御祭神となると、諸説あるでしょうが「舟形」や「草花でかつらをつくり、額にかける風習」など、デジャブ(既視感)…このあたりは次回以降、妄想考察😀
瀬神社(せじんじゃ)
少し進んだところに二つ目の石の小祠。瀬神社と書いてあります。
御祭神は不明。一説に須瀬理比売命(すせりひめ)
「瀬」の字が入る社名。興味ありますねぇ。このあたりも次回以降に。
穂股社(ほまたしゃ)
このあたりから山道っぽくなり、前方にまた石の小祠。
こちらも御祭神は不明。一説に御井神(みいのかみ)
玉尾社(たまおしゃ)
最後の四つ目の石の小祠は玉尾社。
御祭神は不明。一説に興玉命*3(おきたまのみこと)
(以前記事中で紹介した諏訪の語り部(ユー・チューブ動画)は「ニギハヤヒ」と言ってましたが、根拠となるような情報は現時点では見つからず)
小袋石(こぶくろいし、おふくろいし)
玉尾社の右側に巨岩。これが 小袋石 。
高さ12.3メートル(六間五寸)、最大横幅7.8メートル(四間二尺)…見上げる大きさ。
裏側が山の斜面の高い方。小さな水の流れの上にドスンと鎮座しているのがよくわかります。
(写真左は小袋石を見下ろす斜面の位置から。写真右は振り返って斜面の上の方)
実は、この水の流れが、地殻の亀裂、つまり、中央構造線 だそうです。
*1:参拝時、観察しましたが、松や杉はありませんでした。代わって小さな木が数本生えていました
*2:八ヶ岳原人さんのブログ(勅使殿(帝屋・御門戸屋)に紹介された諏訪大社上社本宮の勅使殿が参考になる
*3:猿田彦とも。参考:猿田彦大神がどうして興玉神(おきたまのかみ)と呼ばれるのか? (ku- さん(id:regenerationderhydra)