ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【岩木山神社】お岩木様(奥宮)を遥拝する縁結びと子宝の社(下居宮)

はじめに

津軽 #岩木山神社。#北門鎮護 という勇壮な代名詞がある一方、縁結びと子宝の社でもあります。御祭神 #顕国魂神 は出雲大社オオクニヌシと同神、奥様のタキツヒメ(#多都比姫神 #湍津姫神 #お滝様)と夫婦で祀られていることが理由と考えられます

目次

本文

朝の光と紅葉で茜色に染まる岩木山を眺めた後、二年ぶり二度目の 岩木山神社 参拝(2023年10月18日)。

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お岩木様を遥拝する岩木山神社

(40.62190133893688, 140.34081685236126)/青森県弘前市百沢寺沢27/一の鳥居前に駐車場。

岩木山神社

御祭神: 顕国魂神(うつしくにたまのかみ、出雲の大国主)、多都比姫神(たつびひめのかみ、宗像のタキツヒメ)、宇賀能売神(うかのめのかみ、稲荷神)、大山祇神(おおやまつみのかみ、山の神)、坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと、坂上田村麻呂の御父上)

岩木山神社 由緒

津軽平野のどこからでも見える岩木山は、「お山」「お岩木様」と尊称され、津軽の人々から厚い信仰を集めてきた。岩木山には北東に厳鬼山(がんきさん)、中央に岩木山、慢性に鳥海山(ちょうかいさん)の三つの峰があり、それぞれを御神体とみなして「三所権現」と称した。山頂には奥宮を置いたが、平時には麓の下居宮(おりいのみや)を参詣した。奥宮への登拝行事が、現在まで伝わる「お山参詣」である(略)。明治四年まで別当寺として百沢寺(ひゃくたくじ)があったが、神仏分離に伴って廃されて、岩木山神社と称して国弊小社に列した。現在残る社殿群は、弘前藩津軽家の造営によるもので、慶長八年(1603)の大堂(現・拝殿)、寛永五年(1628)の山門(現・楼門)、貞享三年(1686)から元禄七年(1694)にかけて完成した下居宮(現・本殿)などを初代藩主・津軽為信から四代藩主・津軽信政までの間に整備している

一直線にお岩木様を見上げる参道

一直線に進む参道、そして境内の向こうに見上げる三所権現岩木山のスガタは見事です。

三峰の、右から厳鬼山、岩木山鳥海山の峰。

岩木山神社参道、一・二・三の鳥居と朱色の楼門

金運と恋愛運がアップする!?玉垣狛犬さん

楼門前までやってきました。

中央の石段を上がった両サイドに玉垣が見えますが、その向こう側に…

岩木山神社 楼門

阿吽の狛犬さんがへばりついています。

向かって左側の吽(うん)形の狛犬さんは逆立ちしています。

岩木山神社 玉垣狛犬さん

岩木山神社結びの神社 と云われますが、例えば、この狛犬さんは金運(上向き)と恋愛運(下向き)をアップさせるとウワサされています

…あくまでもウワサ。品質は保証できません( ´艸`)

岩木山神社 玉垣狛犬さん

結びの岩木山神社と云われる由縁(考)

御祭神の顕国魂神(うつしくにたまのかみ)はオオクニヌシの別名。

続く多都比姫神(たつびひめのかみ)は、宗像三女神の一柱で、オオクニヌシに嫁いだ湍津姫神(たぎつひめがみ、出雲口伝*1タキツヒメ(お滝様)であると考えられます(岩木山神社境内・白雲大龍神 御祭神)。

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白雲大龍神を通って流れ込む岩木山神社禊所の湧水。

楼門の随身

前回の参拝では撮り忘れが多く、先ほどの玉垣狛犬さん、そして楼門の老随身の方を撮っていませんでした。

あらためて写真報告。

岩木山神社 楼門の随身

もうひとつ自分が追いかける古代史テーマに関して、重要な撮り忘れがあり、今回あらためて参拝した一番の目的は、それを自分の目で確認し、あらためて撮影することでした。

そのことは次回に。

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*1:古事記では多紀理姫。一般には田心姫タゴリヒメと解釈されるが、出雲口伝ではオオクニヌシの后を、多岐津姫のこととしている。神話では多岐津姫を含む宗像三姉妹はスサノオの娘とされるが、宗像三女神の父はスサノオではない