はじめに
湖東平野の山端。約13,000年前 #縄文草創期 #相谷熊原遺跡 から日本最古級の母体をかたどった #土偶。(季節的な)定住と交易のこん跡となる石器や石鏃(せきぞく)も出土
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相谷熊原遺跡(熊原神社)
(35.089247491624704, 136.30881933046265)/滋賀県東近江市永源寺相谷町1292/近江八幡駅から東25キロ(車で約40分)
琵琶湖南部の東、東近江市の山端に熊原神社。
熊原神社の一の鳥居をくぐって100メートルほど進むと、駐車場があり敷地内に相谷熊原遺跡の案内が立てられています。
熊原神社の二の鳥居。川(愛知川、えちがわ)の左側が熊原遺跡の案内が立っている駐車場。石段の右側が現在は水田の相谷熊原遺跡。
相谷熊原遺跡は、現在水田となっている熊原神社の西側一帯のゆるやかな傾斜地に広がる、縄文時代を中心とした遺跡です。縄文時代とは、今からおよそ16,000年前から2,800年前、土器の仕様が始まり、本格的な農耕が開始されるまでを画期とした歴史区分です。相谷熊原遺跡では、滋賀県内で初めてとなる約13,000年前の竪穴建物跡や、約3,000年前の2時期の墓跡などが見つかる重要な発掘調査結果がありました。
【約13,000年前(縄文時代草創期)】遺跡の東側で、竪穴建物跡が、5棟分見つかっています。最大径7.9m、深さは0.9mに及び、床面積はおよそ50㎡と、同時期の竪穴建物跡の中でも最大級の大きさを誇る画期的な遺構です。また竪穴建物跡からは、女性の胴体を表現した土偶(高さ3.1cm)が一つだけ出土 しました。土偶は縄文時代を通じて作られた当時の人びとに欠かせないものと考えられますが、出土した土偶は国内最古級のものです。
日本最古級(13000年前)の母体をかたどった土偶が出土
縄文草創期の定住と交易のこん跡
その他には、縄文土器、岐阜県湯ケ峰産下呂石や奈良県二上山産サヌカイトを使用した石鏃(せきぞく)、矢柄磨研石(やがらまけんき)と呼ばれる砥石(とぎいし)、石皿や敲石(たたきいし)と呼ばれる木の実などをすりつぶす道具が出土しています。各地と交流を持ちながら、季節的な定住生活が営まれ始めた証 といえます。この時期の遺跡は類例が少なく、歴史を解明する上で大きな鍵となる遺跡です(後略)
【参考】東近江市の考古資料リンク
PDF資料より)同じく最古級と言われる土偶に、三重県松阪市粥見井尻遺跡出土のものがあります。 鈴鹿山地を挟んだ東西2つの遺跡に、 古い時期の土偶が見つかっています