はじめに
考古学の資料でよく目にする #縄文の祭祀 とは何でしょうか?このシリーズ最終回として考えてみました。自然の #二項対立 と #転変 をあらわす #ぐるぐる渦巻文様。直感的に #陰陽五行 の原型のようなものを想起させます
目次
本文
縄文祭祀とは何ぞや
考古学の資料を読んでいますと、祭祀という言葉がよく出てきますね。
例えば縄文(中期)集落では、サークル状に竪穴住居が並び、サークルの中心部に祭祀場のようなものが置かれ、そこからは特殊な土器や土偶が出土するというパターンがよく見られます。
集落の中心的なポジションから考えて、宗教的な祈りが行われていたのは間違いないですが、では、具体的にどのようなことを祈っていたのかはわかりません。
ということで、学問の足かせのない、当古代妄想ブログで、ここ数回、縄文の祭祀とは何ぞや?を論じておりました。
実は三回目。珍しく少々バズりましたヽ(^o^)丿
縄文の沼😅
はい。… 縄文沼にハマってしまい…いったん引っこ抜いてアシを洗わねばなりませんが、備忘録を兼ねて、もう1回だけ書いておこうと思います。
縄文の科学① 二項対立【陰陽】
縄文時代をテーマに書いてきた中から、縄文の人々の生活事象を整理してみると、シンプルに興味深いことが。
縄文から見たら後世の、イザナギとイザナミの日本神話もそうなんですが、底流として、光と影、男と女…などのような 二項対立 が見えてきます。
例えば、縄文の石棒(凸)と石皿・丸石(凹)、赤(明)と黒(暗)は縄文の漆器や丹(水銀朱)での表現だったりします。
三回の記事で紹介したのは、その 二項対立の中間に立つモノ(神?精霊?)は、
・・・後の 道祖神(サイノカミ、サルタヒコ)的な神格の大元ではなかったか?
・・・現代人にはナゾにしか見えない土器や土偶は、縄文の祈りの対象物(道祖神的な神像)ではなかったか?というお話。
なぜ中間が必要かというと、例えば、男女の混合による出産をはじめ、太陽の昼と月の夜の循環による一日や季節の変化などは、
そのような中間的な存在や段階を仮定しないと、理解できないし、説明がつかないからです。
日本神話では、イザナギとイザナミが争っているときに登場するククリヒメや、あの世とこの世が通じる黄泉比良坂(よもつひらさか)に置かれた大岩が存在しないと、ストーリー展開(起承転結)の「転結」に至りません。
縄文の科学② 転変と循環【五行】
もうひとつ、図に描いてみました。
最大限シンプルに描きましたが、簡単にいうと、縄文の人々の目に映る自然現象の説明概念のようなものです。
木は火を運び、火は天が運び、天は水を運び、水は土を運び、土は木を運ぶ(以下繰り返しの循環イメージ)。
ただぞれぞれにちょうどよい塩梅(あんばい)があって、例えば火は暖かさをもたらしますが、触れると焼かれたり*1、水は多くても少なくても、自然災害(洪水、干天*2)です。
そこのところをコントロールする(出し入れを正しく導く)中間の存在が必要となります。
そういう祈りが縄文祭祀であったように思います。
描いてみて気がついたんですが『天』のところを『金』に置き換えると 陰陽道の五芒星(ペンタグラム)五行思想 の概念*3になります。
陰陽五行(易)は自然観察と確率論から生まれたものですから(世界共通で)当然なのかも知れませんが、少なくとも五千年も前(縄文中期)に、このような原初的な考え方を縄文の人たちが持っていたとしたら、
そしてそのような人たちが(逆に)大陸に渡っていたとしたら…陰陽五行の起源は縄文?
当時の大陸人は、西・北・南に広大な陸地(フロンティア)がありましたから東への渡海の優先順位は最低だったはずで、
一方、列島の縄文人のフロンティアは西の海で、渡海は最優先順位だったと思われます。
その意味で、当時の渡海能力は、縄文の方が圧倒的に優れていた(ほぼ一方通行だった)はずです。
ぐるぐる渦巻文様が描くもの
ぐるぐる渦巻文様が、前回紹介したように、異世界との境界=ゲートを描いたものならば、
二項対立するもの(陰と陽)を巻き込んで、異なるものに「穏やかに=人の役に立つように」転変(循環)させる 働きや力 を、シンプルにあらわしている…。
現代にも伝わる 陰陽五行の原初的なデザイン と考えることもできます。