はじめに
本州最北で東北最古。弥生早期の水田遺構 #砂沢遺跡 から出土した宇宙人のような姿。縄文晩期(結髪型)と弥生早期(刺突文)、過渡期の特徴をあわせ持つ #弥生の土偶
目次
本文
昨秋、津軽を訪問した際、弘前大学の『岩木山麓の考古学』展を見学。
※展示物は撮影OKでしたが、私的使用のみOK・SNS等での拡散禁止のため、展示パネル等の情報は要約して紹介
参考までに、岩木山麓の主な縄文遺跡、弥生遺跡(前期~中期初頭)のマップを、展示パネルを参考に作ってみました。
赤色の稲作弥生時代の主な遺跡は、縄文時代から弥生時代への過渡期、弥生前期~中期前半の遺跡。
縄文時代に岩木山山腹にあった集落が、弥生時代には西側の岩木川にそった低地に移った様子がうかがえます。
過去、訪問したところは年月日の日付を入れておきました。当ブログの検索窓で検索すると過去記事をお読みいただけます。先日紹介した田舎館の垂柳遺跡(弥生時代前期~中期前半)は岩木山から南西方向、マップから右(西)の外側になります。またシャコちゃんの亀ヶ岡はマップから上(北)の外側。
マップ一帯には厳鬼山神社、鬼神社、鬼コのいる神社など、鬼伝説が多数。
縄文から弥生 過渡期の水田遺構・砂沢遺跡
岩木山を見晴るかす、砂沢溜池の水辺の砂沢遺跡。
一年のほとんどは水中、渇水期の一時期だけ地上に姿をあらわします。
本州最北・東北最古、低湿地の斜面を利用した田づくりの土木工事(溝くい)のこん跡がはっきりと残る弥生式の水田遺構(7枚の水田跡)で、
炭化米の分析から、福岡県の板付遺跡のコメと品種が近いほか、遠賀川系土器が出土するなど、列島で稲作が始まった北部九州との繋がりが考えられることで注目されています。
これとは別に、シャコちゃん(遮光器土偶)の亀ヶ岡文化の流れを汲む 変形工字文 と呼ばれる文様が施された 砂沢式土器 が出土しています。
砂沢遺跡からは、縄文晩期(頭部の結髪型)と弥生早期(ボディの刺突文)の特徴をあわせ持った土偶(完形)が出ています。
土偶の様式に関する情報や知識がなければ、ほんと、宇宙人にしか見えません😀
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結髪型(けっぱつがた)は、文字通り「髪を結った」ように見える頭部に特徴のある縄文晩期、亀ヶ岡のシャコちゃんの流れを汲んだ様式で、上の津軽の遺跡マップでは「大曲」から出土したものが知られています。
女体ボディの様式的な表現やスリット目は、明らかに亀ヶ岡のシャコちゃんの流れですね。
…パンツが鬼っぽくて、髪がツノ???…まさか…😀
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一方、ボディに突いたような小さな窪みが多数の文様を「刺突文、しとつもん、あるいは、さしとつもん」といい、こちらも東北地方の遺跡から複数出土しています。
弘前大学の企画展(岩木山麓の考古学)では、砂沢遺跡と同じく過渡期の、結髪型と刺突文の特徴をあわせ持った土偶が、いくつか展示されていました。
写真をアップできないのは残念ですが、文字で紹介しておきます。
①「十腰内、とこしない*1」から出土した土偶の明治期の模写絵(実物は展示されておらず。今は失われたのかも知れません…亀ヶ岡や十腰内の遺物は相当量が売買や海外流出で失われています)
②「薬師」「大平野」の手のひらサイズの土偶(①の様式に似たもの。薬師の方は顔がシャコちゃんのスリット目に近い)
【備忘録】この他、湯の沢遺跡の試掘で出土した、弥生時代の鍛冶製鉄を類推させる?「鉄くぎ」三本(長さ7〜8cm)が展示されていたのには驚きました。近くの十腰内は刀鍛冶の鬼伝説が地名の由来になっています。
*1:「いのっち」の愛称で有名なイノシシ型土製品が出土