はじめに
銅鏡として史上最大の #盾形銅鏡(#富雄丸山古墳)の発見は大きなインパクト。よく似た #盾形埴輪 が #長原高廻り古墳(大阪市平野区)から出土。鋸歯文のデザインは外敵を防ぐ威嚇の意味があったようです #隼人の楯
目次
本文
サカイを守護する超ハイレベルな呪具
富雄丸山古墳からは、日本最大(2.37m)の蛇行剣 とともに、これまで発見されたことがない 盾形銅鏡(かがみ) が出土しました。
どちらも武具のカタチはしているものの武器としての実用性はなく、
また古墳の中心墓域を見上げる 造り出し に埋葬者とともに埋納されていたことが特徴です。
造り出しの向こうが『外』、こちら側が『内』と考えると、サカイ を守る門番の役割を担った人が埋葬され、2つの副葬品はそのゲートキーパーが墓主を徹底的に守護するための 超ハイレベルな呪具 であったと考えられます。
精銅・製鉄ともに、当時の最先端の技術レベルの作品で、ゆえに、それほどの モノ に守られた富雄丸山古墳の墓主は、西暦360頃~400年(古墳時代前期後半)の間に亡くなった歴史上の重要人物であったと推定されます。
盾形に刻まれた鋸歯文(きょしもん)
盾形の銅鏡(銅鏡として史上最大)が実在していたことは、この時代の今後の考古学に多大なインパクトとなることでしょう。
鋸歯文(きょしもん)とは、読んで字のごとく、ノコギリまたはサメの歯のようなギザギザ紋様のこと。
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写真は、富雄丸山と同時期か、それよりも少し遅い、長原高廻り古墳群(4世紀末~6世紀前半、西暦390頃~550年、大阪市平野区)1・2号墳から出土した 盾形埴輪 ですが、
その(ひとつの)原型が、盾形銅鏡を模したものであった可能性が限りなく高くなりました。
また、鋸歯文は『内(こちらがわ)』への侵入者に対する 威嚇の呪文 であったように思います。
隼人の楯
一気に時代は飛びますが、盾形の鋸歯文といえば 隼人の楯(はやとのたて、奈良時代)
平城京跡から出土した楯に描かれた逆S字形の文様は、黒墨と赤のベンガラの線、白土の色でデザインされており、上下の上の方の鋸歯文には小穴があけられ、馬のたてがみを通して結び飾っていたものと考えられています。
武人集団・隼人(はやと)が平城京を守護するために『外』に向けて立てていたもので、その意図するところは、侵入者に対する威嚇…力の誇示であり、富雄丸山古墳の盾形銅鏡に通じるものがあります。
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隼人の楯は奈良文化財研究所のシンボルマークであり、また私(開物発事)のぐるぐるアイコンでもあります(`・ω・´)ゞ