ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【登彌神社(鳥見神社、木嶋明神)】富雄川近くの丘陵に鎮座する登美(トミ)ニギハヤヒの神社

はじめに

富雄川沿い #富雄丸山古墳 からほど近くの丘陵地に鎮座する #登彌神社(通称:木嶋明神、昭和初期まで鳥見神社とも)。物部氏の祖 #登美饒速日命(とみにぎはやひのみこと)を一柱として祀っています #ニギハヤヒ #登美連

目次

本文

登彌神社(とみじんじゃ、鳥見神社*1とも)

富雄川と登彌神社が鎮座する丘陵地

(34.66136432983872, 135.7658231198849)/ 奈良県奈良市石木町648−1/近鉄柏原線西ノ京駅より徒歩約30分。近鉄奈良線・学園前前より奈良交通29号系統・奈良県総合医療センター(終点)より徒歩約15分。専用駐車場あり。

登彌神社(とみじんじゃ)

御祭神(神社HPより):高皇産霊神神皇産霊神(たかむすびのかみ・かみむすびのかみ(造化三神のうち二柱)*2誉田別命(ほんだわけのみこと、八幡神)、天児屋根命(あまのこやねのみこと、春日明神)、登美饒速日命(とみにぎはやひのみこと、物部の祖)

登彌神社 由緒碑

由緒碑)皇紀四年春二月二十三日、神武天皇がこの地において皇祖天神を祭祀されたのが、そもそもの淵源であり、その後、登美連(とみのむらじ) が祖先である天孫饒速日命(にぎはやひのみこと)の住居地(白庭山)であったこの地に、命ご夫妻*3を奉祀したのが当神社の創建であります(昭和五十年)

登彌神社(木嶋明神)

参道の灯籠。ふるくは「鳥見明神」、昭和初期まで「鳥見」の名が使われていた

大和郡山市*4通称、木嶋明神 といい、延喜式内小社で 物部氏の祖神・饒速日命(にぎはやひのみこと)を祭神 とし、神域幽玄、神殿も極めて壮大であり、太古大部族の祖神を祭るにふさわしいたたずまいである。また 付近丘陵(大和郡山市城町主水山)は弥生時代遺物の散布地帯(ママ)でもある

ntomishrine.wixsite.com

登彌神社 参拝

登彌神社 境内

登彌神社 拝殿と御神紋

登彌神社 東本殿(右)と西本殿(左)そばに摂社

登彌神社 東本殿(右)と西本殿(左)そばに摂社

粥占い毎年二月一日

毎年二月、つい先日行われたばかりですが、

当社の粥占いは、生駒山を大阪方面に超えたところに鎮座する枚岡神社の粥占神事(かゆうらしんじ、1月11日)とともによく知られています。

登彌神社 筒粥神事の案内

【記事中に粥占神事(かゆうらしんじ)】

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「木嶋」(このしま)について

木嶋 の由来については今のところよく判りませんが、

京都太秦(うずまさ)の三柱鳥居で知られる 蚕の社(かいこのやしろ)の正式名は、木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)で、

両社とも物部氏秦氏、はたうじ)が関わっている点で、何らかの関係を示す名称と考えられます。

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*1:饒速日命を河内では磐船明神、大和では鳥見明神と祭った。参道一番上の燈籠に「鳥見神社」とある。昭和初期まで鳥見の名も使われていた(神社HPより)

*2:天御中主神(あめのみなかのぬし)を含めて造化三神

*3:ニギハヤヒと御炊屋媛(みかしきやひめ)。御炊屋媛はナガスネヒコの妹でウマシマデ(石上神宮の創建者)の母上

*4:登彌神社は大和郡山市に隣接する奈良市に所在する