はじめに
漁港の街 #国崎(くざき)#海士潜女神社。垂仁天皇の皇女 #倭姫(やまとひめ)は #海女 の #お弁 より献じられた鰒(アワビ)を #伊勢神宮 の神饌としました #かづきめ #くぐりめ #熨斗鰒
目次
本文
海士潜女神社(あまかづきめ、または、あまくくりめ じんしゃ)
(34.4143929, 136.9244152)/三重県鳥羽市国崎町312/国崎漁港から徒歩約10分。駐車場は一台分
古くは鎧崎(よろいざき)に鎮座し海女御前(あまごぜん)と呼ばれていました。伝承によると、約二千年前、垂仁天皇 の皇女 倭姫命(やまとひめのみこと)が皇大神宮(伊勢神宮)御鎮座ののち、神饌(しんせん)を求めて志摩の国を巡られていたとき、国崎(くざき)の海女(伝説の海女 お弁(おべん))が差し出した鰒(あわび)をたいそう喜ばれ、国崎神戸(くざきかんべ)として御贄処(みにえどころ)とし、国崎に湯貴潜女(ゆきかづきめ)を定められました。国崎神戸を定められてから、毎年、神宮の神饌として、熨斗鰒(のしあわび) を奉納しています。明治2年海士潜女社(あまかづきめしゃ)と改められました。明治39年、劔宮社・白髭大明神・八雲神社ほか十一社を合祀しました。明治40年に神明社・熊野社ほか一社を合祀し、海士潜女神社(あまかづきめ(くぐりめ)じんじゃ)と改称しました。神明社以下の村内の神々をここに全て合祀して以来、国崎の氏神様として崇められ、その後、昭和9年に鎧崎より現在の宮の谷へ遷祀して今日に及んでいます。潜女神を主祭神とする神社は全国で一社だけで、地元の海女をはじめ、日本中のダイバーら海に関わる方々の信仰を集めています。
海士潜女神社 参拝
海士潜女神社 拝殿にお参り
拝殿建物に入ってお参り。
拝殿内正面の額に掲げられた、デカいアワビの殻に目を奪われました。
30センチ近くはあるでしょうか。
熨斗鰒(のしあわび)の御守(おまもり)など。
伊勢神宮に供された鰒(あわび)の殻も御守になっていました。
キラキラ輝いて、御神徳がありそうです。