はじめに
石鏡漁港の #石鏡神社。「いじか」は伊勢神宮の地を定めた後、伊勢志摩を巡った #倭姫 の事蹟に由来した地名。境内に海女のお菊夫婦の子づくり伝承の #子宝の石
目次
本文
石鏡神社(いじかじんじゃ)と地名の由来
(34.44620813774513, 136.9175881529517)/三重県鳥羽市石鏡町261/石鏡漁港から徒歩5分。石鏡までは鳥羽バスセンター(近鉄・JR鳥羽駅)からかもめバスで約45分石鏡港下車
明治期に、集落ごとの神社が(激しく)整理統合(合祀)された結果、御祭神が多数に。
御祭神:國常立尊・春日大神・宇迦之御魂神・天照皇大神・大山祇命・菅原道真・大國主命・應神天皇
三重県神社庁の「石鏡神社」には『江戸期の享保11年(1726)の仕出帳に「宮山七社、八王子、鎮守、天神、山神、八幡、弁財天、坂折八王子」とある。明治6年村社、明治40年村内小社と合祀して石鏡神社となり現在にいたっている。』と紹介されています。
石鏡(いじか)という地名は「石神」からの転訛かな?と考えていましたが、地元ホテルのページに、その由来が紹介されていました。
(沖合に石鏡島という岩礁があり)以前は島の中央に円形(穴状)の洞があり、その穴の方向が、ちょうど石鏡の里と、太陽の昇る線上にあり、穴から朝日を拝む事ができました。古来、倭姫命(やまとひめのみこと) が、志摩地方から伊勢へ帰る途中、この洞が日の光を帯びて、まるで鏡のように見えた事から、石鏡(いじか)と呼ぶようになりました。この神々しさ故に、人々の崇拝の対象であり、身の清らかなものでしか、上島をゆるされなかったほどでした。
なお、今は石鏡島の穴は崩れてしまい、見ることはできません。
【参考:いじか荘 ホームページ】
石鏡神社 参拝
子宝の石
明治42年、石鏡神社に合祀されるまで、弁天さんには、女性の性器に似た石がご神体として知られていた。安産・子授けの神として、土地の人々に信仰され、正月などには供え物を持って、女たちは弁天さん・八幡さんの順でお参りをした。願いをけかる者は、この石をまたぎよったという。この石は、今は石鏡神社の手水場の下に、埋もれそうになって残っている。その謂われを知っている人は、今の赤飯はど供え物をしていると言う。
時は江戸時代、この辺りにとても仲睦まじい海女さん夫婦がいました。夫の名は三吉、女房はお菊。でもこの夫婦に子供ができませんでした。そのため、お菊は姑にイジメラレ落ち込んでいました。ある日、三吉・お菊が弁天様にお祈りに行きました。すると不思議なことに弁天様からのお告げが聞こえるではありませんか。「近くに女性器に似た石があります。そこにまたがりなさい。」その通りすると、夫婦はすぐに子宝に恵まれました。
二月の手水の中に、閉じこめられた秋😀