はじめに
古墳時代幕開けの前期古墳 #箸墓古墳 #ホケノ山古墳 の墓域中心を結ぶラインは東の #巻向山 を指します。この事実から現段階で推理できることを過去記事を含め整理
目次
本文
箸墓古墳とホケノ山古墳が結ぶライン
以前、箸墓古墳とホケノ山古墳の後円部中心部(墓域)を結ぶラインが、巻向山を向いていることを紹介しました。
グーグルマップに線を引いただけの簡単な図でしたが、先日参加した『箸墓古墳周濠を歩く2023』でいただいた資料に、正確な測量図が載っていたので、あらためて。
(ラインと各中心円は、資料に開物が追記。築造年代は資料に掲載されているものを転記)
このことから、特に、3世紀中頃(古墳時代前期)の箸墓古墳とホケノ山古墳は、何らかの強い因果関係(共通する信仰や歴史)を背景に築造、つまり、併設されたものと推理しています。
同時期に造り始められたけど、小規模な分、ホケノ山古墳のほうが早く出来上がった可能性も考えられますね。
二つの古墳を結ぶラインの先に…ヤマト創世記のこん跡多数
あらためて箸墓古墳とホケノ山古墳のラインをたどってゆくと…
巻向山山中の 水神社(水神坐水沼社)を指します。
リョウサン池 から流れ落ちる水の沼地の樹に、しめ縄が張られただけの素朴な神域で、社や石祠などはありません。
水神社は、飛鳥時代の天武・持統天皇夫妻の行幸が伝えられる 迹驚淵(とどろきのふち、日本書紀、壬申年間)があったとされるリョウサン池を遥拝する祭祀場であったと考えられます。
周囲は赤土(埴土)の粘土が多く、この一帯で、埴輪の土が採られていた伝承も残ります(桜井市出雲、榮長増文氏著「原始三輪山」)
纏向にも流れるリョウサン池の神聖な水
リョウサン池は、南北170メートル・東西約30メートル、水深4~5メートルで、一帯では最大の高地性湧水池。
三輪のみーさん(己さん、龍神)が棲むと云われる、水鏡の美しい森中の池。
女性器を想起させる割れ目から流れ落ちる水は、古来、神聖なものとされ、水神社を通って纏向川に注ぎ、箸墓古墳やホケノ山古墳の纏向(まきむく)に流れてゆきます。
巻向の大鳥
箸墓古墳の後円部から、東の巻向山(本峰)方向を眺めると、右(東南)に翼を広げた頭のある大鳥の姿が見えます。
大鳥の頭の部分が 白山 あたり(ピンクの○を繋げると大鳥の姿に)
白山は地図で小さく白い点に見えますが、花崗岩層の岩肌がむき出しになったところで、ここも古い時代、何らかの祭祀場であったと考えられます。
実はこの白山には、別の秘密があって、天武・持統天皇が拓いた藤原京から見て、夏至の日の出の方向になります。
水の龍神信仰のこん跡。巻向の「巻」に「己」の字
近くの 巻向山奥不動寺 では、剣に三巻きする龍神 の御札がよく知られています。
奥不動寺の御札の現物を持っていないので、過去に撮影したよく似た像影を紹介しておきます。
巻向山の「巻」には、龍蛇をあらわす「己」の字が入っているのが面白いですね。
龍蛇の三巻きは、つまり、三輪
巻向には「(三輪の)龍神に正対する、つまり、龍神を遥拝する」という意味があったのかも知れません。
そういうところから考えてゆくと、箸墓古墳やホケノ山古墳の主は、龍神信仰(三輪のミーさん)に深く関係した女性、ヒメミコ(姫巫女)であった可能性が高いと思われます。
東向きの遥拝ですから、あわせて、朝の陽を遥拝する太陽祭祀との関係も考慮すると、つまるところ、水(龍神)と太陽の祭祀…
現代にも繋がる 三輪山信仰 そのものです。
磐座群のある ダンノダイラ へは、奥不動寺から山道を歩いて約二十分の距離。
ダンノダイラから南に下ると、野見宿禰(のみのすくね、とみのすくね)伝承の桜井市出雲の地になります。
一方、箸墓古墳から穴師山(穴師坐兵主神社)に向かう道中に、伝・垂仁天皇の珠城宮跡、相撲神社などの野見宿禰が登場する史跡があるのも重要な繋がりです。