ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【礒部の御料田】夏至に「太一」が降臨し米づくりが始まる【伊雑宮の御田植祭】

はじめに

礒部 #伊雑宮 #伊勢神宮の御料田。御神田の地をあらわす #黒木の鳥居 と柱。毎年、夏至の頃に #竹取神事 の #御田植祭 が行われます #太一 #北極星 #天照大御神 #大日如来

目次

本文

【千田の御池跡がある倭姫旧蹟地】

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伊雑宮

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礒部の御料田

(34.3791152, 136.8091701)/三重県志摩市磯部町上之郷361/近鉄上之郷駅から徒歩5分。隣接する伊雑宮と共有の専用駐車場あり。

伊雑宮に隣接して、伊勢神宮の神饌米を収穫し、供する御料田(ごりょうでん)

樹皮がついたままの黒木の神明鳥居と石碑。

礒部の御料田 黒木の鳥居

礒部の上之郷には、初代斎王・倭姫(やまとひめ)が「真名鶴(まなづる)が一茎千穂の稲穂をくわえ飛び鳴くのを奇瑞となされ、稲を天照大神さまに献ぜられ、この地に引水田と苗代を造られた」という千田の御池があり、

その倭姫が命じ、伊雑登美命(いざわのとみのみこと)が造営した伊雑宮に隣接しています。

なお、真名鶴の故事は、穂落宮(ほおとしのみや)とも云われる佐美長神社(さみながじんじや、磯部町恵利原)に伝わります。

神宮御料田の碑

広々とした田園で志摩半島の稲作発祥地にふさわしい景色。

礒部の神宮御料田

御料田から伊雑宮の社そう

伊雑宮御田植祭(おみた祭)

日本の三大御田植祭*1のひとつに数えられる、伊雑宮御田植祭は、夏至に近い毎年6月24日に、盛大に行われます。

御田植の式次第

室町時代の享禄年間(1520〜30年代)に始まり、礒部九郷*2が毎年当番制で、祭礼を取り仕切ります。

伊雑宮御田植祭の様子(鳥羽市立海の博物館)

祭りのメインイベントが、御料田に建てられた柱に括られたゴンバウチワといわれる二枚の大うちわを、競って引き倒す竹取神事。

御料田の柱

上のうちわには、松竹梅・太陽と月・稲穂をくわえた鶴・三宝・亀、

下のうちわには、米俵を積み帆柱の先端に宝珠、帆に 太一 の大文字の神通丸という宝船が描かれています。

ゴンバウチワ(鳥羽市立海の博物館)

柱にくくられていたゴンバウチワを、先を競って、どろんこになりながら、御神田(おみた)に引き倒します。

竹取神事の様子(鳥羽市立海の博物館)

太一とは北極星のことで、

日本神話の世界では天之御中主(アメノミナカノヌシ)、

神様としては天照大御神(アマテラス)、

仏様(本地垂迹)としては大日如来、をあらわすとされます。

「ただひとつの最大で最高のもの」という意味でしょうか。

太一を引き倒すのは、天空(宇宙)からやって来た最高霊を田んぼに遷し、その年の豊作を祈願する意味があると考えられています。

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冬の二月の訪問では、ここでそのような勇壮な賑わいがあることを想像することもできませんが、チャンスがあれば見学してみたいものです。

*1:香取神宮(千葉県香取市)、伊雑宮三重県志摩市)、住吉大社大阪市

*2:上之郷と五知、山田と沓掛、下之郷、穴川、迫間、築地、恵利原