はじめに
三重県志摩市大王町 #船越神社。明治期の激しい合祀の紆余曲折を窺わせ、境内にはかつての各社の御神体らしきものが複数。中でもしめ縄の巻かれた #馬蹄石 が目をひきます
目次
本文
一の鳥居(34.2702020, 136.8658653)/三重県志摩市大王町船越861/大王埼灯台から西へ車で約10分
大王埼灯台から西へ車で10分ほど。大王町船越の氏神さんで、宮山という小高い丘の麓に沿うように鎮座。
当社は明治40年12月5日、村社船越神社に地内の7社(境内社若宮神社、無格社八幡神社、愛神社、秋葉社、七本松社、舟古志社、御贄島社)を合祀し、同年12月20日合祀祭を執行し、村社船越神社と単称することとなった(三重県神社庁)
船越神社 参拝
神明造りの一の鳥居をくぐると、地区の避難所にもなっているグラウンドに入る形で参道。
手水舎あたりで参道はほぼ直角に折れ曲がり、玉垣に囲まれた御本殿に入るという、変わった造り。
こういう造りは、たまたま地形に合わせたのか、それとも何か意味があるのか…気になるところではあります*1
(下の写真)参道右側の大樹は「ホルトノキ」とのこと。
現在の船越神社になるまでに、いろいろと紆余曲折があったようです。
船越の地は、古く「神鳳抄」にも記録されている神宮の御厨であり(中略)当然、神明社を以て村の氏神としてきたが、中世、牛頭天王を配祀したため、天王祭が盛んになり、天王を以て主神と考え、明治4年には一時 津島社 と称した事もあったが、典故に悖ることに気づき明治9年再び改めて船越神社と称するに至った(三重県神社庁)
馬蹄石
玉垣の中には、かつて合祀された各神社の御神体らしきものが置かれていますが、中でも目をひくのはしめ縄がまかれた磐座(いわくら)。
しめ縄の直下に馬蹄形の印が二つ見えます。
庚申塔の太陽と三日月の紋にも見えますね。
船越村鹿島埼の海浜の岩上に七本の松があり、これを七本松といい、そこに 七本松神社 があった。またその岩面に 馬蹄の形の二つ印した石 があった。合祀の際、これも移されてしまったが、天照大神が御馬に召されて七本松へお出であったときの遺物だとも、猿田彦命(サルタヒコ)の御し給いし馬蹄であるとも伝えている(鳥羽志摩の民俗)
中世に猿田彦神は庚申信仰と習合していますし、猿田彦神社(伊勢市)の鳥居は神明造り、御神紋は五瓜梅鉢紋(木瓜紋に似ている)
「鳥羽志摩の民俗」に書かれている猿田彦神の言い伝えの理由がぼんやり見えてきます。
大阪四天王寺さんの古本市で出逢った古書の記述が、遠く離れた志摩の遺物と一致しました。