はじめに
伊勢志摩地方は、石器時代から縄文時代を通じて、はるか昔から人々がすみ続け、遠くの #諏訪 #二上山 と行き来していたことがわかっています。 #黒曜石 #サヌカイト #下呂石
目次
本文
Wikiの「英虞湾、あごわん、伊勢志摩南端の太平洋側の入り江の湾」の項の気になる一文。
伊勢志摩は、石器時代〜縄文時代後期、黒曜石やサヌカイトの石器を通して、遠く離れた諏訪や大和二上山と交流があったことがわかっています。
ちなみに、現在の大都市圏、大阪市や名古屋市は、今よりも10m近く海が深かった 縄文の大海進期 は、まだ海の底😀
一方、諏訪は、八ヶ岳地方とあわせて、人々が棲み、関東や中部地方とも活発に交流する「縄文文化の中心地」でした。
三重県北部を含む伊勢志摩は、当時の最先端テクノロジーであった黒曜石ナイフを、諏訪八ヶ岳地方から採り入れた地方沿岸都市といったところでしょうか。
魚や貝類、海藻類を食べやすくさばくには鋭利な刃物が必要です。
伊勢志摩と諏訪
(画像を使用した参考文献:三重県の更新世*1における石器石材利用について。三好元樹。2016)
伊勢志摩トータルで「その他(諏訪の黒曜石)」の比率が一定度ありますね。
冒頭紹介した、Wikiの英虞湾での諏訪の言及は、おそらく、このような資料に基づいたものと考えられます。
資料中、チャートは、三重県の近場でも容易に手に入れることができるそうですが、
チャート石よりも剥片が鋭利な、諏訪の黒曜石、二上山のサヌカイト、下呂石は、ナイフや矢じり用に適した 当時の人々のこだわりの石 だったということで、
このあたりは、大阪堺や新潟三条の刃物を求める現代のプロの料理人の感覚と同じですね😮
石鏃に関しては、地元でとれるチャートの他、長野県産出の黒曜石や奈良と大阪の県境にある二上山(にじょうざん)のサヌカイト、岐阜県下呂地方の下呂石など、さまざまな産地の石材で製作されています