ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【往馬大社(2)】西の生駒山を神南備の御神体とする日本有数の古社

はじめに

西の #生駒山御神体とし、創建時は産土(うぶすな)の #伊古麻都比古神 #伊古麻都比賣神 の男女二神を祀っていた #往馬大社(#往馬坐伊古麻都比古神社)は日本有数の古社

目次

本文

手前が往馬大社の鎮守の杜。後ろが生駒山

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往馬大社(いこまたいしゃ)

(34.678353278420566, 135.70381612397887)/奈良県生駒市壱分町1527−1/近鉄電車生駒線壱部(いちぶ)駅から徒歩10分・菜畑駅から徒歩15分。駐車場あり

往馬大社 往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)

御祭神:伊古麻都比古神(いこまつひこのかみ、産土大神)/伊古麻都比賣神(いこまつひめのかみ、産土大神)/氣長足比賣尊(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)/足仲津比古命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)/譽田別命(ほんだわけのみこと、応神天皇)/葛城高額姫命(かつらぎたかぬかひめのみこと、神功皇后の母上)/息長宿祢王命(おきながすくねおうのみこと、神功皇后の父上)

往馬大社 御由緒

往馬大社の歴史はたいへん古く、創立年代は定かではありませんが、生駒谷十七郷の氏神としてこの地に鎮座し、奈良県内では大神神社(おおみわ)、石上神宮(いそのかみ)と同様に 神奈備生駒山)を御神体として祀られた日本有数の古社であります。また神社の境内を覆う鎮守の杜は奈良県の天然記念物に指定されており、太古から変わらぬ自然の森を今に守り伝えています。神社で最も古い記述は『総国風土記』の雄略天皇三年(458、第21代)で、この年を御鎮座と致しますと、去る平成二十一年に一千五百五十年を迎えました。また正倉院文書にも記載が見られ、奈良時代からすでに朝廷との関わりがありました。平安時代の『延喜式』(972)では、往馬坐伊古麻都比古神社二座が官幣大社に列せられ、その内一座は祈雨(あまごい)の幣も賜っていました。この時代、本殿は産土神の二座でありましたが、鎌倉時代武家の守護神である八幡信仰が興隆し、当社でも五座の八幡神を合せ祀り、現在の七座となり、当時は生馬(いこま)八幡宮や生馬大明神と称していました。

往馬大社

参拝

往馬大社 境内図

日の出(東)の反対、西の生駒山の方に向かい合わせる参道と石段。

往馬大社 石段途中の狛犬さん

往馬大社 拝殿

往馬大社 御本殿

創建当時、産土神・伊古麻都比古神と伊古麻都比賣神の男女二神を祀っていましたが、

鎌倉時代に、武家の守護神である八幡信仰の興隆とともに、他の五座の八幡神を合祀したといいます。

御神木の上溝桜(うわみずざくら)ハハカの木

境内の御神木、上溝桜(うわみずざくら、別名ハハカの木)は、新天皇即位式である大嘗祭(だいじょうさい)の中で執り行われる斎田点定の儀(さいでんてんていのぎ*1)の「火きり木」として使用され、

平成・令和の天皇陛下大嘗祭においても、この上溝桜の枝が献上されたそうです。

これを由来に、当社では毎年十月(現在は体育の日の前日に)に、大松明(おおたいまつ)を焚き上げる火祭りが盛大に行われます。

上溝桜(うわみずざくら)ハハカの木

水神社(水分神、みくまりのかみ)

祓戸社(瀬織津比売

末社。右から伊弉諾社、住吉社、猿田彦社、月夜社

稲荷社

生駒戎神社(事代主神

前回紹介したギンリュウソウは、生駒戎神社の背後の林に繁殖していました。

ギンリュウソウ

ギンリュウソウが終わると、5月下旬頃から、鳥居の向こう、玉垣の下の崖に、白いヤブミョウガの花がひそやかに咲きます。

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*1:東日本と西日本から新嘗(にいなめ)供する田、悠紀・主基(ゆき・すき)を選定卜占する。その際に、亀の甲羅を焼く際の火起こしに、この上溝桜の枝が使用される