京都洛西 #松尾大社 の3回目。本殿奥に #水の祭祀 の御神域。また、前回紹介した #出雲後物部 のこん跡について少し追記。
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出雲後物部のこん跡(前回追記)
前回のお話で、松尾大社の後背の松尾分土山(わけつちやま)大杉谷にある巨大な磐座(いわくら)がもともとの鎮座地で、現在の境内は、藤原京の飛鳥時代、第42代文武天皇の世に、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が、現在地に社殿を構えて、山背(やましろ)を支配した秦氏の氏神として奉斎しました。
(一般的に、平安京以前の京都を山背、以降を山城と表現します)
今のところ、どのような経緯があって、物部氏系の秦氏が山背を支配するようになったのかは、よくわかりませんが、
少なくとも、稲作づくりの浸透力で、弥生時代を現出した出雲の力が、特に古墳時代の中期以降、全国的に弱まり、代わって物部氏(と秦氏)が台頭しました。(自然崇拝の磐座祭祀から、前方後円墳と社殿祭祀へ。)
松尾大社 本殿奥の御神域
松尾大社の御本殿奥の御神域は、水の祭祀にかかわる神様のお社が並んでいます。
古代山背において、当地は貴重な水源地であったことを物語っており、やがて醸造関係の信仰を集める社になりました
松尾大社の本殿の奥には、霊亀の滝、滝御前(罔象女神、みずはのめのかみ)、亀の井、三宮社(玉依姫、たまよりひめ)、四大神社(四季の神*1)が鎮座する御神域があります。
滝から流れ出た水は、亀の井に繋がっているのでしょうか。
京都の酒造関係者は、毎年、酒造りの始めに、霊泉・亀の井の水を持ち帰ります。