ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【巣山古墳(3)】出土した準構造船は高田川水域を支配した海人集団のこん跡【喪船】

巣山古墳の最終回。古墳外周から #準構造船 が出土。復元された船体を広陵町文化財保存センター(土日祝日休み)で見学できます。縄文以来の丸木舟に舷側と堅板の構造物を載せた船を準構造船といいます #高田川 #葛城氏 # 武内宿禰

目次

本文

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「喪船」とされる準構造船の出土

(1)で紹介しましたが、巣山古墳では古墳外周の北東角から準構造船の部材が出土しました。

準構造船の出土地点(北東角)から巣山古墳

広陵町文化財保存センターのパネルでは 喪船(もふね) とされています。

喪船とは棺や遺体をのせた葬送の船のこと。

巣山古墳。順構造船の出土地点と出土状況を紹介するパネル(広陵町文化財保存センター)

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準構造船とは、丸木舟と、船全体を板でつないで作る構造船(遣唐使船など)の中間的な形で、弥生末〜古墳時代の船とされます。

時代的に、神功皇后の半島遠征(三韓征伐、西暦三百年代後半)に使用され遠洋航海が可能であると同時に、大和と河内を繋ぐ内水路の河内湾(湖)水域でも部材が発見されるなど、当時の高度な造船技術による、使い勝手の良い船であったと考えられます。

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広陵町文化財保存センターの展示

広陵町町役場に付属。土日祝日休み。

出土した準構造船の復元展示

準構造船は、縄文以来の丸木舟に、波よけの左右の舷側と、前後の堅板を組み合わせたもの(木組み)を載せた構造となっています。

展示解説パネル

練度の高い操船技術が伴えば、確かにこの構造だと、波が荒い外洋でも、水深が浅い内水路でも運行できますね。

外洋では遭難リスクを下げるために、複数の船体を縄でつなぎ合って「面」で航海したんじゃないかと想像します。

水鳥の群れのイメージですね。

縄でつなぐ船団方式は、大きな船体(構造船)どうしでは衝突破壊しますが、小型の準構造船ならOK。

舷側にまん丸の形のレリーフがいくつか施されていました。

堅板にも紋様が刻まれていることがわかります。

復元された準構造船

高田川と巣山古墳

この準構造船は巣山古墳にどこから運び込まれたのでしょうか。

喪船であれば、現地で組み立てられ、埋納されたとも考えられますが(それじゃ面白くありません😀)

巣山古墳の東には高田川。

巣山古墳の北東コーナーから準構造船は出土していますので、古代の高田川水運を支配した氏族(葛城氏)との関係が推定されます。

巣山古墳の東を流れる高田川

葛城山系に源を発し大和高田市広陵町を経由して、川合町で大和川に合流します。

高田川(川の名前を調べる地図より)

wiki(巣山古墳)には、巣山古墳の埋葬者が武内宿禰(たけのうちすくね)とする説が紹介されていますが、葛城氏は武内宿禰の後裔とされており、その線から武内宿禰説があるようです。

個人的には、異論がありますが、それはまたいずれ。

今回、準構造船についてあらためて取り上げた理由がありまして、それについては次回。

準構造船のカタチをシッカリ頭に入れておいていただきたく👍

大和の古代豪族(葛城市歴史資料館)

高田川。一枚目北方向。二枚目南方向

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