前回の続き。JR大和路線・河内堅上駅から #大和川(#龍田川)に沿った #龍田古道 を歩いて約20分。鉄橋が川向うを越えたあたりから #亀の瀬。ここの #亀岩 が動くと奈良盆地(大和の国)が水没するという言い伝えは #明日香村の亀石伝承 と奇妙に一致します
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本文
龍田古道・亀の瀬 人や車が通れない鉄橋
(前回からの続き)JR大和路線・河内堅上駅から、右側(南側)に明神山を遥拝しながら、亀の瀬(地すべりエリア)まで1キロほど歩きます。
写真の奥、JR大和路線が大和川の向こう側に渡る鉄橋(第四大和川橋梁)あたりから亀の瀬の地すべりエリアに入ります。
下部の白い三角形のトラス構造は、昭和初期の大規模な地すべりで、こちら側にあった線路とトンネルが、大和川の対岸に付け替えられたこん跡です。
本来、トラス構造の鉄橋として造られたものでしたが、昭和初期の大規模な地すべりにともなうJR大和路線(当時、大阪鐡道)の付け替え工事が緊急であったため、
線路を支えるために急きょ大和川に置かれたものだそうで、全国で唯一の目的外使用で 人や車が通れない鉄橋 となりました。
亀の瀬 亀岩の伝説
上の写真の同じ地点から、上流(奈良方面)の大和川が 亀の瀬。
古代、大和川(龍田川*1)水運の難所で、くねくねとうねる川筋の急流です。
古来、亀の瀬の広い一帯は、後背の山腹が幅約1キロ以上にわたって持続的に(じわじわと)地すべりを繰り返したエリアで、
おそらく古代より大和川が閉塞する度に、開削して流れを復旧するという難工事が行なわれてきたものと推測されます。
そして地すべりによる閉塞の目印になったのが 亀岩 だったと考えられます。
亀岩は、大和川の中にある亀の甲羅のような奇岩であり、古くから亀岩・亀石と呼ばれ、亀の瀬の語源と考えられます。明日香にも亀石と呼ばれる石造物があり、亀石が動くと奈良盆地は洪水になるという言い伝えがありますが、その亀石とは亀の瀬のことではないかと考えられています。
亀の瀬の亀岩と明日香の亀石の一致
(案内板続き)昭和6・7年に発生した地すべりで、近世には大和川のほぼ中央にあった亀岩が右岸によっており、その際に実際に大和川が閉塞して上流域が洪水となったからです。地すべりによって言い伝えの通りのことが発生したことからも、過去にあった事象が言い伝えとして残った可能性は高いと考えられます。(以下省略)
この案内を読んでいて『(頭の向きが逆に思えるけど)亀の瀬の亀岩と明日香の亀石のカタチがそっくりだなぁ!』と思いました。
明日香の亀石は花崗岩の石造物なので、亀の瀬の亀岩がもとになる…つまり明日香の亀石は亀岩を模したものと考えるのが自然でしょうね。