ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【亀の瀬地すべり歴史資料室】明日香・亀石伝承のまま。大和川の閉塞で亀岩が動くと奈良と大阪は泥の海

大和川の #亀の瀬。背後の山体(#龍田山?) は地すべりを繰り返し、大和川を閉塞させ奈良盆地大阪平野の洪水を引き起こしてきました。そのメカニズムと現在の対策を知るため #亀の瀬地すべり歴史資料室 を見学

目次

本文

亀の瀬

万葉の時代、大和と河内の国境を龍のようにウネウネと流れる大和川は龍田川(たつたがわ)として詠われました。

その中心が 亀の瀬 で、川の中に鎮座する亀岩がその名の由来とされています。

亀の瀬地すべり歴史資料室の位置(左写真の「地すべりエリア」、右写真の〇印)

亀の瀬地すべり歴史資料室

大阪府柏原市峠/(34.582096290069856, 135.6744969688177)/JR大和路線河内堅上駅から徒歩約20分。専用駐車場あり

地すべり歴史資料室・亀の瀬地すべり地帯の地層図

太古、亀の瀬一帯には ドロコロ火山 があったそうで、山体部はほぼ崩落していますが、

火山の噴出物と溶岩でできた地層斜面が、現在でも地すべりを起こしやすく、日本でも有数の地すべり地帯として知られています。

(中世ごろまでは山体部が残っており 龍田山 と呼ばれていたものと考えられます。)

亀の瀬地下(地下の排水トンネル内)。白と茶色い層が重なったところが地すべり面

地すべりは、地下水がすべり面に流れ込むことで、上の地層が断続的に滑ってゆく現象で、がけ崩れとは違い、山の広範囲の斜面が一日数(十)メートル以上、地割れなどを起こしながらジワジワ動くそうです。

亀の瀬の地すべりが要注意なのは、地すべり面が大和川の地下までつながっており、下のパネル写真に水色の〇印で描いたように、大和川が閉塞するリスクがある点です。

亀の瀬地すべりのメカニズム。地すべりで大和川がせき止められる。がけ崩れとの違い

昭和初期の大規模地すべりでは、閉塞まで進みませんでしたが、大和川の川床が盛り上がり、砂州があらわれました。

(写真は、河内堅上駅近くの「山の上CAFEほんのきもち」さん所蔵の昭和七年・地すべり見学記念絵葉書より)

昭和初期の地すべりで大和川の川床が盛り上がった様子を写す貴重な写真

この時の地すべりによる大和川の盛り上がりで、亀の瀬の川中の亀岩が岸寄りに動いたと云われています。

明日香の亀石には「今は南西を向いている亀石が西を向くと大和盆地は泥の海となる」という言い伝えがありますが、この伝承を亀の瀬の亀岩が動いた事実と結びつけて、関係を考察する向きもあります。

亀の瀬の亀岩と明日香の亀石

www.zero-position.com

www.library.pref.nara.jp

推定被害総額6兆円。大阪平野と大和盆地が泥の海に沈む!

この盛り上がりが進んでしまうと大和川が閉塞し、まずは上流の奈良県側の支流を含む大和川系がいっせいに溢れます。

そして次に、この閉塞が決壊すると、水は一気に下流大阪平野側の新・旧大和川系に流れ込み氾濫が起こります。

地すべりで大和川が閉塞すると、上流の奈良盆地下流大阪平野で大規模な水害

(大阪側の大和川の流れは江戸期の付け替えで新造された新大和川。旧大和川扇状地をつくりながら北西方向の河内平野に流れていました。最後に大阪城付近(地図の中央区の文字のあたり)を通って難波江に注いでいました)

まさに古代の河内湖と大和湖の再現となってしまいます。

たいへんオソロシイ話ですが、そこはご安心を。

昭和初期の地すべり災害を経験して、戦前~戦中~戦後を通じて、継続的に大規模な対策が行われてきたことにより、現在では地すべりは ほとんどストップしています。

24時間亀の瀬地すべりを監視中。対策工事の効果で地すべりの動きはほとんどなくなる。

次回に続きます。

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