前回 #吉備と大和 について紹介しましたが、今回は #桃太郎伝説 を少し詳しく考察。#唐古鍵遺跡 と #纏向遺跡、大和川(初瀬川)を流れてきた甕の伝説、#吉備津彦 伝承を繋いでみました
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【前回記事】
弥生期ヤマトのマツリゴトの中心地
奈良盆地の中央部をふるい奈良の人は 国中(くんなか)と言います。
弥生時代の国中は、弥生期に存在した大和湖(奈良湖)の水域〜湿地帯で、現在の田原本町(唐古・鍵)一帯は、稲作弥生時代の水辺(神浅茅原、かむあさじはら)でした。
唐古・鍵は、紀元前200年〜西暦200年頃の、弥生時代の「稲作経済」と「マツリゴト」の中心地で、木製農工具、絵画土器のほか、神殿を含む建物跡、銅鐸工房、巨大勾玉(2個)などが見つかっています。
桃の種も出土しており、桃の祭祀 においても、纏向(西暦200年〜400年頃)に継承される、つまり、纏向に先行するヤマト文化の中心でありました。
「川を流れてきた甕」の伝承
田原本町には「初瀬川の上流から甕(かめ)が流れてきた」という伝承がありますが、
どうやらこれが、ヤマト王権の「桃の祭祀」と結びつき、桃が川を流れてくる話に変化したと考えられます。
桃(甕)が流れ下ったのは大和川(初瀬川)
唐古・鍵はクニの中心近くを大和川が流れ下っていました(パノラマ模型写真参照)
甕は神酒(みわ)を容れて祭壇に捧げる土器。
つまり「川を流れてくる甕=三輪の神」と考えれば、三輪の神(大物主神)あるいはその神威=桃太郎=吉備津彦、と繫ぐことができます。
唐古・鍵から纏向へ、ヤマトのマツリゴトの中心が移動したのは、ちょうど、第七代・孝霊天皇と吉備津彦の時代(西暦150年±30年ぐらい)
魏志倭人伝(三国志魏書東夷伝)が「国内は大いに乱れる」と書いた 倭国大乱の時代 にあたります。
大陸の公式の歴史書の記述と、当時の日本の緊張した国内情勢の時期が一致するのはたいへん興味深いですね。
したがって、桃太郎の鬼退治は、当時の争乱の史実にもとづいたおとぎ話と考えることができます。
大物主神 の正体とあわせて、このあたりの歴史を詳しくリサーチしながら、あらためて紹介してゆきたいと考えています。